ちなみに右が「君看雙眼色(君看よ双眼の色)」で、左が「不語似無憂(語らざるは憂なきに似たり)」と書かれていて、それぞれ良寛の書。
松岡正剛さんの『外は、良寛。』に載っているものです。
「読む」以外の文字の機能とは?
こういう文字を目にして、あっ、またしても読めないと思うとき、いったい、識字率ってなんなんだろうって思います。活字に慣れてしまった僕らだから読めないのか? それとも、こんな字ばかりだったから昔は識字率が低かったのか?
いや、毛筆の文字が読めないのは、きっと臨書体験の少なさも影響しているのでしょう。いろんな人の書いた書を臨書でもして、文字を深く見ることがなければ、草書で書かれた文字をわかることはできないのではないかと思っています。
それにしても、なぜ、このように読みにくい字を書く良寛さんが書で著名だったりするのでしょうか。
どう考えても、僕らがいま文字に期待する「読む」という機能以上のものがかつては存在していたとしか考えられません。でも、それが何かが「読む」以外の文字の機能を期待しなくなった僕らには想像しにくい。
そもそも床の間などに絵ではなく、書を飾ったりする文化っていったいなんなんでしょう。
「中国はあらゆる芸術のうちで書を筆頭にランクする国である」と松岡正剛さんは『空海の夢』で記しています。日本でも書を飾ったりするのは、その中国の影響を受けているのは明らかです。
文字は意味を読むもの? 意味を見てとるもの?
その中国で「書は散なり」というのだそうです。「書する心のほうをあれこれ景色にあてがいなさい」ということらしい。松岡さんは「対象に陥入してアイデンティファイする」と言い換えています。ここで「アイデンティファイする」というのは「文字を見れば人がわかる」といったような意味でのアイデンティファイではなくて、むしろ対象である相手に入り込んでしまった状態をアイデンティファイというのだと松岡さんは言っています。そして、空海は「文字を見て人をわからせようとするのではなく、文字を見て万物をわからせるほうに努力を傾注したのだ」と言います。
「文字を見て万物をわからせる」。漢字は表意文字だと言われます。
先に僕は毛筆で書かれた文字を見て読めないと書きました。では、読めなくても、文字を見てその意味を感じることができるか? んー、どうもそれもむずかしいようです。空海の書ならそれが可能なのか? 空海の書いた書を見たという記憶がないのでわかりませんが、おそらくダメでしょう。
それは星座がその星座の名前どおりの形に見えなかったりすることにも通じるのかもしれません。活字を読むことばかりに慣れた現代に生きる僕らはそういった想像力を欠いているのでしょう。
身体の動きと一体化し物質の本性に支えられて力をうる記号
そんな漢字がなぜ表意文字などと呼ばれるのか?いま読んでいる杉浦康平さんの『宇宙を叩く』には、太鼓の「鼓」の文字の甲骨文や金文の字体を次のように調べています。
「叩く人」「桴(ばち)」「太鼓」「台」はいいとして、「飾り」というのは何でしょう?
それはこの字体で象形された太鼓が中国や韓国の雅楽で用いられる「建鼓」を叩く人を模したものだからです。「建鼓」とは下の絵に描かれているような太鼓です。
こうした象形性の強い文字をみると、すでに「「言葉と意味、ボタンと機能」について考えるためのメモ」で引用した以下のような杉浦さんの言葉について考えずにはいられません。
今日の私たちは、文字の働きを一面的にとらえすぎているのではないでしょうか。古代における文字とは、今日の文字のようにただ単に意味を伝え、黙読されるだけのものではない。呼吸とともに声にのり響きを生み出し、書道のように力強く書き記され、ときにこの拍板のように激しく叩きつけられてその力をとび散らす。身体の動きと一体化し、物質の本性に支えられて、はじめて力をうるという記号でした。杉浦康平『宇宙を叩く』
いま僕らは筆で書くことはもちろん、手書きで文字を書く機会さえ少なくなっているのではないでしょうか。そして、ノートなどにメモをする際に書く文字もなぜか活字をなぞっているのではないかという気がします。
機械的に標準化された文字である活字をなぞることと、様々な人が記した文字を臨書することはきっと、おなじように手で書くのだとしても違う行為なのだろうと思います。
それはあらかじめ設計されたメニューの階層構造を辿って目的の機能を用いることが、料理を作ったり自転車に乗ったり人間と会話したりするのとは違うように、頭の使い方や身体の使い方が異なっているのだと思います。
この機械を行為でなぞることが、僕らに毛筆の文字を読めなくさせている1つの原因とはいえないのでしょうか。
書かれた文章を聞く
もう1つ先の引用で気になるのは、文字は現在のように「黙読されるだけのものではない」といったところ。黙読というのはどうやら比較的近年になって可能になったものであるらしいのです。黙読するようになって僕らは声を出すという身体の動きをともなって文字に接することがなくなっています。
「近代文化史入門 超英文学講義/高山宏」でも紹介したように、西洋においても、印刷術の発達のおかげで聖書は一人ひとりが自分の個室で読めるようになり、それまでの音読から黙読の習慣に移ったそうです(同時にシェイクスピアの演劇は舞台で演じられることを禁じられ、活字で読むものになったそうです。そこでも役者のセリフとして聞くものから文章を読むものに変わっています)。
そんなことを考えながら、最近はたまに本を読む際に音読を心がけるようにしています。いまのところ、それが何の役に立つかとは考えずに。
ただ、声に出して読みながら感じるのはやはり、書かれた文字を音読することでそれは読まれるものであると同時に聞かれるものになるということです。自分で読みながらも、書かれたものを読んでいるというよりも口に出された言葉を聞いているという感覚になります。
これはなかなかおもしろいのでしばらく続けてみようか、と。
呪としての文身
ところで、文字とはそもそも「文身」のこと、「入墨」のことだったそうです。体毛を失ったサルであるヒト族が体毛の代わりに文身を身にまとったのです。そして、その文身にはもともと呪がこめられていたといいます。
文身の習俗は太平洋沿岸地域にはかなり広く分布する。『春秋左氏伝』には呉越地方に「断髪文身、裸にしてもって飾となす」とあり、『日本書紀』景行紀にも日高見の国に「身を文く(もどろく)」と記録されている。文身の道とでもいうべきロードが想定されよう。
文身が呪であり、それが古くは太平洋沿岸地域に広く分布したものであったこと。それは古代の人間が口にされる言葉にも呪力を感じていたことも含めて、言葉というものが非常に身体的であり、かつ神的・聖的なものであったことが伺えます。
この国は、コトアゲ(言挙)せぬことをもって言語習俗としていたふしがある。いたずらに言葉をつかわないことがむしろ言葉の力を生かしているのだと考えられてきた。コトダマが信仰されたのはそのためである。神の名すなわち首長の出自はめったに口にしないことをもってその威力が保持されたのである。
『古事記』では、天皇の勅命を受けた政事の実行者であるヤマトタケルのような人がまつろわぬ民(荒神)に対して天皇にコトムケるよう促す話が数多く出てきます。荒神は自らの名を天皇に対して名乗ることで、その呪力を奪われたのです。
記号的な言葉、近代の生んだ幻想
こうしたことを見ていくと、かつての言葉は現在のように単純に意味を担うものではなかったのだと想像できます。そのことを想像しないと、和歌の枕詞という存在さえも理解することができないのでしょう。ソシュールが言ったようなシニフィエとシニフィアンの関係において語られる記号的な言葉というのは、まさに近代の生んだ幻想=魔術なのだと思います。
そして、実はそのことが形と機能というデザインの分野の対応にもつながっているのだと思います。
ミシェル・フーコーは言語の側面から、大きな変化の境界をやはり19世紀はじめとする。19世紀とは、言葉が、言葉とは無縁な認識の正確な反映、模像、くもりのない鏡となるほどに、科学的言語としてみがき上げられる時代であり、さらに、言語そのものが客体となった時代であったという。
言葉が客体化され、操作対象である表象となって以降、現在の情報技術のように言葉と機械的な機能を結びつけ、それを同時期にリンネによって完成された分類学的方法を用いて構造化することばかりに注力したデザインの手法が目指されることになります。
そして、この機械の側を中心に組み立てられた操作をインタラクションと呼び、人間がうまく機械に従えるようにする作業をインタラクション・デザインと呼んだりします。
どうしてそれが人間中心設計なの?
不思議なのは、どうしてこのような人間が機械に難なく従えるようにすることを「人間中心設計」と呼ぶのかということ。そこに疑問を感じない人が多かったり、表象と機能の対応付けやそれを可能にする構造化の手法そのものが実は現在の情報システムのデザインにおける限界であることに気づかずにいることは、不思議でなりません。
まぁ、そのくらい、言葉を客体的な記号=表象に変えてしまった近代の魔術が強力で、しかも、それゆえに毛筆で書かれた文字からイメージを受け取ることができなくなっているのでしょうけど。
現在の論理的思考にどっぷり浸かってしまっている僕らにはもはや、田中優子さんが『江戸の想像力』で描き出してくれている近世の文化における列挙の方法のように、論理的関係性とは無関係の羅列、接続詞を用いない羅列によって俳諧味をだすような言葉の使い方もできず、そのようなシステムのなかで物事をイメージし考えることもできなくなっているのでしょう。論理でばかり考えてしまって、俳諧的なユーモアで世界を身体的につかみとることすらできなくなっているのだと思います。しかも、論理的思考以外の別のシステムによる思考が存在していたことさえ想像できなくなってしまっているのです。これはかなりヤバイ。
というのも、ここをちゃんと突破しないと、なんの創造力ももたないデジタル情報機器にいいように操られるばかりで、人間が本来もっているはずの想像力・創造力が失われていくのを食い止める手段はないと思うのです。
というわけで、そろそろ『外は、良寛。』を読みはじめるのにもちょうどよいタイミングになったみたいなので、ページをめくってみることにします。
良寛も18世紀の後半から19世紀のはじめを生きた人なので、「江戸の想像力 18世紀のメディアと表象/田中優子」や「定信お見通し―寛政視覚改革の治世学/タイモン・スクリーチ」、「グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード」、「表象の芸術工学/高山宏」で扱った18世紀的問題を抱えていたとも思いますし。
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