質問ができる人/できない人

セミナーなどの質疑応答の時間って、ほんと質問ってあんまりでないですよね。
ああいうシーンで質問できるか、できないかって結構重要なことだと思うんです。
質問するということの意味をもうすこしちゃんと考えた方がいいはずです。

P.S.
論の立て方がわるかったようですね。主旨が伝わってないので補足。
まず「質疑応答」の例を出したのがイメージを固定してしまったようですね。実際に質疑応答で質問が出るかなんてどうでもいいんです。そんなの聞き手ではなく、話し手が下手な場合もありますから。今回問題にしてるのは、セミナーの質疑応答という特定のシーンで質問できるかどうかじゃない。
そうじゃなくて、ようは「自分が興味をもって聞いた他者の話に適切な問いを立てることができるか/できないか」がテーマ。なので、質問を組み立てられるなら、質疑応答ではなく個別質問でもいいし、「質問をつくる」ことができる/できないがこのエントリーの問題なので、実際に質問するか/しないかも無関係。「大勢の前でははずかしくてできない」、「大勢の文脈での質問にはならない」というのも、「質問を組み立てられる」のなら「質問できる」に入ります。そういう条件の上で「質問できない」ことを考えて読んでいただければ。)

質問ができる人とできない人がいると思うんですけど、それってたぶん、前者が学ぶ姿勢の人であるのに対して、後者は教えてもらう姿勢の人なんですね。知識や技能の習得に際して、前者は行為がともない、後者は頭であれこれ思うだけです。

学ぶ姿勢と教えてもらう姿勢の違い

「学ぶ」というのはもともと「真似ぶ」であったように、自分で相手の言ったこと、やったことを真似してみようという姿勢です。
相手の言葉をわからないなりに受け入れて、それを自らの身体を使って再現してみようとする。だから、真似できないくらいにわからない部分は質問せざるをえないわけ。学ぶ人にとっては質問は必然です。

一方、教えてもらおう姿勢にはそういうところはありません。
ただ、教えてもらうだけでそれを自分で再現してみるかどうかはほんと気分次第なところがある。やってみるのが面倒とかそういうことさえ感じなくて、ただ言われてもやらない。
だから、話は聞いているのだけど、それに対して自分の側から必然的な質問は沸きあがってこないんです。だから、唐突に(そう、教えてもらう姿勢にとっては唐突です)質疑応答の時間に移られても、すぐに質問なんて出てこないのです。

他者を模倣する経験から知識・技能を身につける

じゃあ、どっちが新しい知識や技能が身につくのが早いかといえば、とうぜん「学ぶ」姿勢の人のほうです。

前から書いているように「本を読んだり、他人の話を聞いただけで、何をわかろうというのですか?」というわけで自ら経験しようとしない人には何も学べません。また、「信頼した人の推挙に従う」ことや「「わからない」を自分の身で引き受けること」ができなければ、学ぶ=真似ぶということにはなりません。

質疑応答の場などで質問ができない人(するかしないかは別として「質問を組み立てられない」人)というのは、そういう意味でそもそも学ぶ姿勢になっていないのではないか、と。

1つ前のエントリー「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」に関連したところでは、今回、芳崖の様々な模写をみて、真似ぶ=学ぶことの意味をあらためて感じました。自分自身の身をもって繰り返し模倣することがなければ、芳崖が様々な画法の限りをつくして「日本画」を生み出したのとおなじようには、自分自身の可能性を広げることができないのだろうな、と思ったのです。

何が分かっていないかを理解し質問を組み立てる力

もう1つ付け足すと、質問できる人のなかには実はまた違う種類の人がいます。

それは友達との会話のような質問をする人。単純に自分の疑問を素直に質問しちゃう人。ようするにセミナーなどの場のコンテキストを無視した質問をしちゃう人です。ほとんど連想ゲーム的な質問になるので、講師が話したテーマとは関係なく、自分が元からもっていた疑問だったり、あるキーワードに引っ掛かって、それを質問してしまう人。友達や少人数での会話でならありですけど、セミナーとかだと内容の文脈とは関係ないので、他の人にとっては意味のない質問になってしまいます。

まぁ、それでも質問できない人よりはマシ。欲をいえば、せっかくなのでもうちょっと弟子入りする姿勢で、文脈のなかに入った質問をしたほうが、結局、自分の身になると思いますけど。
話の文脈からいっても、ここは余談ですね。そういう人もいるというだけのこと。まぁ、いずれにしても質問を構成する能力がない人、自分が何が分かっていないかを理解し質問を組み立てる力がない人に比べれば随分とまともだと思います。

自分の身で引き受けることの大切さ

自分の身をもって相手に正対して、その関係のなかで自分の無知を見出すこと。そういう「学ぶ」姿勢がとれない人が結構いるようで、それが結局例の「ものを考えない人」の正体なわけです。

そういう人は自分では勉強してるつもりなんだと思いますけど、姿勢が「学ぶ」ではなく「教えてもらう」になってしまっているので、極端に知識や技能が身につくのが遅くなってしまうんですね。自分の身をもってやろうとしないから、疑問を感じず質問を組み立てられないし、疑問をもたないから考えるということにもつながっていかない。

もちろん、これはセミナーの質疑応答に限ったことではないですよね。他人の話を聞いたり行動を見たりして質問する力があるかどうかという意味です。そして、それはフィールドワークでの観察によって発見を得ることができるかということにもつながります。つまり、「学ぶ」人は教えてもらえなくても発見できるという意味で。ある状況に自分の身を置いて、そこで外部に対して行為をもって表現できるか?です。頭のなかであれこれ思いをめぐらすこととそれは違います。

「学ぶ」ことと「教えてもらう」ことの違いにもうすこし敏感になる必要があるのでは?

P.S.
質問する力はインタラクションをデザインする上でも重要。
というわけで、「説明/質問という枠組みを応用した情報デザインの5つの手法」というエントリーを書きました。あわせて読んでいただければ。

  

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