去勢された美的技術としてのファイン・アート

よく知られているように。そう。よく知られているのです。

よく知られているように、いわば実利的な技術と区別して美的技術fine artという概念が出現したのは18世紀のことだ。しかし実利的技術としてのapplied artがより明確な領域として示されるようになったのは、19世紀の前半、産業革命を背景にしていた。

こういう「よく知られたこと」も知らずに、アートとデザインの区別をどっちが上だとか下だとか言う無知はいったいなんなんでしょう。ものを知らなすぎです。
去勢うんぬんをいうのであれば、まさに18世紀に実利的な技術と区別された時点でアートは去勢されているわけです。その純粋さ(fineさ)こそ去勢の結果だということを知らないというのはどうなんでしょうか?

去勢された美術

当初、産業革命が起こった頃、産業による製品は著しく美的な質に劣っていた。伝統的な製品のデザインを近代以前として捨て去ってはみたものの、工業的につくられる製品は見るにもおぞましいものだった。そこに実利的技術としての応用美術による「装飾」が試みられた。それが次第に19世紀末から20世紀にかけて、今日考えられるデザインという領域を形成していく。アーツ・アンド・クラフトやアール・ヌーヴォー、さらにはバウハウスなどの運動を経て。

では、その頃、一方のファイン・アートとしての美術が安泰だったかというとそうではない。
実利技術なんて概念が生まれたのも、そもそも、宗教や王侯貴族、時代が下れば大商人の発注によって制作されてきた絵画や彫刻は、社会の平等化が叫ばれるにつれ、クライアントを失うと同時に、単なる画工が芸術家と呼ばれるように独立性をもったにすぎない。しかも、それも当初は単に美的技術をもつ職人だったわけで、まったくいまのデザイナーとなんら変わりはない。

それがようやく今のようにfineな「芸術」として扱われるようになったのは、むしろ、一方のデザインが社会的に認識されてきたからにすぎないのです。

しかし、実利的技術=応用美術としてのデザインという概念が定着することによって、fine artとしての美術は、その関係性によって位置づけがより明確に認識されることになったのは間違いない。

別にそれはファイン・アートがえらくなったわけでもなんでもなく、単に社会的変化に応じて分類されたにすぎません。社会的文脈の変化からそれまでの宗教や政治的な文脈への依存がむずかしくなったがゆえに、実利的な意味を失ったがゆえに、ファイン・アートは他の実利的な意味をもった分野から切り離されたと見た方がいいんです。ようは役に立つ機能がなくなったから「純粋」というしかなくなったんですね。それこそ、去勢されているがゆえに純粋になったのだ、と。

そもそもが西洋であれば、建築を頂点として、詩も絵画も音楽もおなじく芸術表現と考えられていたわけで、すべての表現メディアは同じ記憶の女神「ムネモシュネ」が孕んだ9人のミューズだと捉えられてきたのです。その一人ひとりが音楽や詩などを司ると考えられ、それゆえに「姉妹芸術(sister arts)」という呼び方もあったりするくらい。そっちの流れが本来にあって、その他、伝統的なルールやしきたりを捨象して人工的な分類や決まり事を生み出した近代のカテゴリー同様に、それはあまりに近代的な枠組みでしかないわけです。(このあたりの事情は高山宏『表象の芸術工学』に詳しい)

日本と西洋の同期

何もこれは西洋においてだけでなく、日本においても同様です。

中世までの美術作品はほとんど仏教美術か、逆に日本の土着の神々と遊ぶための連と通じたものです。連歌にしても、能にしてもそうです。
その後、室町の時代になってからは禅宗文化から山水画や茶の湯、立て花が生まれ、それが安土桃山時代になって法華宗から、長谷川等伯などの画工や、本阿弥光悦のような多彩な才能をもった人を排出するようになる(このあたりの事情は松岡正剛『山水思想―「負」の想像力』に詳しい)。等伯の絵にしても、狩野派の絵にしても、襖絵であり屏風であり、決して純粋な美術ではないし、光悦の焼物や工芸品、書など、どれをとっても実利性につながる技術と美的技術が分けて考えられたことなどありません。
江戸期に入って、町民が文化を形づくる時代になっても、そこは何も変わらない。黄表紙などの滑稽本、浮世絵、歌舞伎など、どれも純粋な美などは眼中にありません。

日本においても純粋な美術などというものが創造されたのも、明治期になって本格的に西洋の絵画が入ってきた際に、そうした絵に対してフェノロサと岡倉天心が「日本画」なるものを創造したときです。ちょうど今、東京藝術大学の美術館でフェノロサと天心が創出した日本画の第一号ともいえる狩野芳崖の「悲母観音」が展示されているようなので、日本画という人工物の創出に興味がある人は見に行った方がいいでしょう。
これまで漢画に対する大和絵という区別はあっても、日本画などというものはそれまでなかった。西洋においてfine artの位置づけが認識されるのと、日本画が誕生するのはほぼ同時です。

西洋においては昔も今も美術作品は商品

純粋な芸術なんて枠組みはたかだか近代以降の産物でしかないことが、現代の日本においてはよくわからない。だから、現代芸術の作品がオークションでとてつもない高値で取引されることも、アートフェアが商売のための見本市であることも、芸術作品を買うのも株などへの投資とおなじだし、ましてや美術館に寄付することで相続税が免除される資産であることも含めて、それがほかのものと同じように商品性をもったものであることが、いまいち感覚としてよくわからないのでしょう。

それは日本におけるアニメやマンガ、フィギュアと変わらないんです。滑稽本の国だから、日本では芸術作品がそういう形態をとっているだけです。こういう文脈を理解すれば、村上隆さんの作品がなぜああいうもので、かつ、それが海外のオークションで高値で売れるのかもそれほど不思議ではなくなるわけです。日本ではアートというものがへんに純粋なものだとか、崇高なものだとか勘違いされすぎてるわけです。それは高級時計などのもっと高級版の商品とみればいいだけです。

本来は単にその機能が特定の個人の欲望をどれだけ刺激するかということに特化しているだけ。それほどユーザー中心設計されたものはないくらいです。

そうした歴史や文化の流れも見ずに、芸術の純粋性だとかを言ってもばかばかしいし、日本でしか通じない発想なんじゃないかと思います。ほんと、このあたりの無知はいまの美的創造性を著しくせまい範囲にとどめてしまっているのかなと感じるのです。

  

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この記事へのコメント

  • 西ノ田

    とても分かりやすく面白かったです!
    2009年01月26日 21:46

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