デザインの切り口

デザインをする上では、関係性の構造が見えないとダメだよねーというのは昔書きました(「関係性を問う力、構造を読み解く目がなければデザインできない」参照)。

ここで関係性と言ってるのには、物事同士の関係性もあれば、人と物、人と情報との関係性、そして、人同士の関係性など、あらゆるものの関わり方とそれが意味するものが含まれます。
手順なんかも物事の関係性を示すものですし、操作に対するフィードバックも人と操作、情報をつなぐ関係性のなかで捉える必要がある。ユーザビリティを考える上で重要なキーワードであるコンテキストも、人が物を利用する上で関係性をもつ様々な背景(利用環境、利用者のスキル、利用目的、普段よく利用しているもの、etc.)を理解することで、はじめて人と物とのインタラクションを緻密にデザインすることが可能になるという発想に立っています。

ただ、その関係性ってのはすべてが必ずしも明示的ではありません。
中には隠れた関係性を白日のもとにさらすための作業が必要になるケースも非常に多い。その作業のことを分析と呼びます。
分析には目の前に集めた様々なデータ(それはいまだ関係性が見えずバラバラです)を前に、いかにして隠れた関係性を見出すのか?ということが課題になってくる。隠れた関係性を見出す分析にはさまざまな方法がありますが、その方法には必ず"切り口"というものがついてきます。

今日はそのことについて書いてみようか、と。

切り口がないと分析できない

はじめに明確にしておきましょう。切り口が見つからないと分析はできません。ある切り方をすると隠れた関係性を見いだせるというのが切り口です
言いかえれば、分析の軸といってもよいし、分類の方法といってもいい。ある軸で分けるとバラバラなデータにパターンが見いだせたり、あるルールで分類を行うと、データ同士の関係性や構造が見えてくる。そういう軸や分類のルールという物の見方を、ここでは切り口といっています。

当然、分析の軸や分類のルールが見つからなければ、個別のデータ同士を闇雲に比較しても、何のパターンも見いだせないでしょうし、見出したパターンは非常に局所的で、ごく一部のデータにのみにしか当てはまらない、ようするに役に立たないパターンだったりするケースも多いでしょう。

じゃあ、どういう切り口が正しいかといえば、実はそれって結構、結果オーライ的なところがあります。よい関係性・パターンを見出せた切り口というのが、よい切り口だったりします。

なので、実は最初からこのパターンで分析しましょうっていうことはあまり的確にはいえないというのが本当のところだと思います。データを見てみなければどの分析の切り口が有効かはわからないし、データを見るには結局、分析してみるしかないのですから。結局、データを集めて、それをいろんな角度で見ることを実際にやってみないとはじまらないわけです。それもせずにああだこうだいっても、まったく現実に足を踏み入れてない訳で、時間の無駄。とにかくデータを集められるだけ集めてテーブルに広げ、それをいろいろと分類する作業をやってみるところからはじめないと埒があかないのです。

※ただ、勘違いしないでね。調査して分析して答えがでないと何もできないマヌケな発想とここで書いてるのは違うから。ここで欲しいのはそういう安心できる確証ではなくて、行動をはじめるためのキラッと光る切り口ですから。

分析のためのいろんな切り口

とはいえ、ある程度、いろんな分析の切り口の引き出しを持っているに越したことはありません。

例えば、統計学的な分析の手法はまさにそのためにいろいろ用意されているといってよいでしょう。そして、どの分析方法を用いるのかと同時に、何を軸に分析を行うのかということも必要になります。ただ、統計的な分析手法はまったく専門外なので、ここではこれ以上、述べません。

ここではどちらかというと専門である定性的なデータの分析の切り口について、すこし紹介しておくことにします。

5つのワークモデル
ユーザー行動を構造的に分析するための5つのワークモデル」というエントリーでもすでに紹介していますが、人間中心設計のアプローチで最初にユーザー理解のためのユーザー調査を行って集めたデータを分析する際に用いる方法です。その名の通り、ユーザー行動を明示的にモデル化するための5つの切り口が用意されています。僕はこの分析を行わずに作成するペルソナってダメでしょと思っています。このワークモデルを用いた分析は、インタープリテーション・セッションというワークショップのなかで協働作業として行います。インタープリテーション=解釈であり、まさにこのワークモデル分析を経てはじめて「ユーザー理解」ができたことになるのです。ただ、調査をしただけでユーザー理解ができたと思ってる人が多いようですが、どんな調査でも分析もせずに理解なんてできるわけがありません。
5つの帽子掛け
また、5つですけど、これはリチャード・S・ワーマンが情報を分類する方法として提示したもの。5つとは「位置」、「アルファベット(日本語なら五十音)」、「時間」、「分野」、「階層」です。これは情報分類の方法ですけど、とうぜん、分類のための方法は分析の切り口として使えます。どの分類方法を用いてデータを分ければ、意味のあるパターンが見いだせるか。あるいは、どの分類で並べると、データ間の関係性を見出すことができるか。分析するってことは、結局、情報構造を決めるということです。つまり、分析そのものがデザインなんです。タクソノミーはデザインの一分野なんですよね。
5W1H
はい。また、5からはじまりますけど、これは+αとしての1がおまけについています。説明はいりませんよね。子供のころから作文の時に5W1Hを含めなさいと言われたはずです。ようは5W1Hを含めることで、その文章がデータとして他の文章との関連性を考えやすいような切り口があらかじめ与えられるわけです。

と、いうわけで、とりあえず分析の際の切り口に使える3つのフレームワークを紹介しましたが、もちろん、切り口はこれだけではありません。「絵の多義性とタクソノミー(フォトカードソート・ワークショップを終えて)」で書いたように、対象となるデータがテキストデータではなく、イメージデータのようなものであれば、分析の切り口もテキストに対するのとは違った切り口が必要になることも多いでしょう。

あるいは、分析というのは結局、次のデザインコンセプトを決めたり、具体的なデザイン案を作成につなげるための切り口を提供する1つの判断です。前に「判断力は情報デザイン力、物語化の能力」というエントリーも書きましたが、判断というのはバラバラで雑多な情報を元に分析を介して行う行動のデザインにほかなりません。なので、そこまで考えれば、ここで分析が必要と言っているデザインの対象は、単に物のデザインだけではなく、情報を扱う人ならだれでも(つまり人間なら全員)必要なあらゆる判断、行動を含んだものなのです。

分析そのものが創造的作業

結局、どういう見方をすれば、データが意味のある模様に見えてくるかということを試行錯誤するのが分析なわけです。

前にも書いてますし、『ペルソナ作って』にも、5つのワークモデルの詳しい紹介とともに書いてますけど、結局、分析という作業そのものが新しい見え方を創造するプロセスなんですね。「デザインをする上では、関係性の構造が見えないとダメだよね」というのはまさにそういう意味。関係性の構造を見ようとする具体的な努力としての分析作業を怠ったデザインなんてありえないと思ってます。

この過程をはしょって具体的なデザイン案を出そうとするから「デザインなんて一足飛びでできるものではない。」で書いたような手戻りばかりが発生する不毛なプロジェクトになってしまうんですよね。あるいは、手戻りはなくてもできたものが最悪なものという結果か。

最初にきちんとデータ・コレクション(コンテンツ集め)をして、その上で分析によってバラバラのデータに関係性を見出す。このステップを踏まないデザインが多すぎますよね。

  

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