謝赫の「画の六法」(あるいは、経営者は絵が描けないと・・・)

経営者こそデザインを知っていなくてはならないはずです。「「デザインする」という感覚」で書いたことに通じる意味で、そして、昨日の「鶏口牛後じゃないの?」とも関係する意味で。

「経営者こそデザインを知っていなくてはならない」というのを言い換えれば、経営者こそアーティストである必要があると言ってみてもいい。絵が描けない経営者というのはどうかと思うのです。もちろん、普通の絵ではなく、未来の絵、ヴィジョンです。

以前、松岡正剛さんの『花鳥風月の科学』を紹介した際に、こんな引用をしました。

今日マネジメントをあらわす「経営」という言葉は、この山水のコンポジションをマネジメントする経営位置から派生したものでした。

これを読んだ時も、へーと思ったのですが、同じ松岡さんの本で、いま読んでいる『山水思想』に、「経営位置」という言葉がそもそも用いられるきっかけとなった書物が紹介されていました。

謝赫の「画の六法」

中国・斉(479-502)の時代の画家・謝赫(しゃかく)が著書『古画品録』のなかで「画の六法」というものを提唱しているそうです。そのなかに先の「経営位置」は含まれています。

謝赫の「画の六法」は以下の6つ。

  1. 気韻生動(きいんせいどう)
    自然の気が画面にいきいきと表れていること
  2. 骨法用筆(こっぽうようひつ)
    現象の本質を筆がとらえていること
  3. 応物象形(おうぶつしょうけい)
    絵が万物の形に従っていること
  4. 随類賦彩(ずいるいふさい)
    応物を色で支えること
  5. 経営位置(けいえいいち)
    コンポジション・配置を大事にすること
  6. 伝模移写(でんもいしゃ)
    正確に対象を描写すること

「経営位置」は先の引用にもあったとおり、絵のコンポジションのマネジメントなんですね。

「経営」は経済用語ではなかったのだ。経営とは面取りなのである。配置なのである。布置なのだ。
松岡正剛『山水思想』

この言葉がすべてを物語っているような気がします。経営を経済的な活動と思いこみ、数字をあれこれいじりまわしたりすることだと誤解してしまうから、未来の絵を描くために組織のコンポジションを考えるということができないのではないでしょうか。

絵が描けなかったらどうにもならない

もちろん、問題は「経営位置」だけじゃないでしょう。
現象の本質を捉えて絵が描けるか、描かれた形は万物の理にかなっており、その形を支える巧みなコントロールができるのか。あるいは描いた組織という絵は気が満ち溢れた動きをできるか。

また、絵が描けないということと同時に思うのは、システム思考ができてないよねということ。組織=システムだということ理解できてるのかな?って普通に疑問を感じます。戦略も描けなければ、戦略に従う組織もデザインできない。そりゃ、儲からないのは当然でしょ。社員が擦り切れて優秀な人ほどやめていってしまうのも偶然じゃないはずです。

ヴィジョンとしての絵も描けなければ、システム設計=デザインもできない。まったく経営=コンポジションになってないですよね。sそれをしないで何をしてるんでしょうか? トップ営業? それは本来の仕事じゃないですよね。経営者は経営するのが仕事なんだから。

というわけで、絵を描く力としての画力・デザイン力がマネジメントには必要なんじゃないかなと最近よく考えます。いや、経営者に限らず、プロジェクト・マネジメントでもそうですし、普通に仕事をするうえでは、とにかく画力・デザイン力がすごく大切だと思うんですよね。絵が描けなかったらどうにもならないでしょ、と。

 

関連エントリー

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック