恋愛上手とユーザー中心のデザイン

しばらく前から、ユーザー中心デザインって結局、恋愛上手になるのと似てるなと思いはじめています。

まず恋愛上手/下手に影響を与えるパラメータってこんな感じで4つに分類できるかな、と。

  • インプット力:相手に興味を持ち、どれだけ相手を知ることができるか
  • アウトプット力:相手の望みに応えるためのアウトプットをどれだけ提供できるか
  • 基本スペック:アウトプット力の範囲外である基本性能(容姿、年齢、収入)
  • 経験値・価値観:アウトプット力の範囲外で、かつ基本性能的でないもの(その時点での経験値、趣味や好み、志向性や価値観など)

この4項目のうち、基本スペック自体は自由に変えられるものではないですよね。基本スペックを相手が重視する場合であれば、いかなる恋愛上手でもいかんともしがたい場合はあるでしょう。結婚相手とかになると、この基本スペックが占める割合が高くなったりしますが、恋愛の相手と結婚相手は違うということでしょうか。

経験値・価値観も即座にどうなるものでもないし、相手がいくら望んでも譲れない場合もありますよね。相手の期待に応えるってのもあるけど、自分がどうしたいかってのもありますから。

インプット力とアウトプット力が腕の見せ所

ユーザー中心デザインで考えると、基本スペックとしての技術力や利用可能なリソース、経験値・価値観に通じるスタッフの経験値や何をつくるかという哲学・ヴィジョンといったあたりは、やっぱりユーザーが何を望もうともそうそう変わるものではありません。
その意味でこのあたりはユーザー中心デザインをもってどうにかする類いのものじゃないということでしょう。

恋愛上手も、ユーザー中心デザインも、相手のことを知るインプット力と相手の期待に応えるアウトプット力が腕の見せ所という点で共通するのかなと思うんですよね。

相手のことを知るインプット力

恋愛も、ユーザー中心デザインも、まずは相手を知ることからですよね。相手のことがわからなければ何もやっても空回りに終わることがあります。相手のことを考えずに、ただ自分が得意なことばかりをひけらかしても相手に伝わる確率は低いでしょう。

また、相手自身のことじゃなくて、相手を型にはめた目で見るのもダメですよね。きっとあの人は○○タイプだから、こうしたら喜ぶだろうという風に考えるのは、相手のことを考えていることにはなりません。むしろ、わかってるつもりで、自分が勝手にはめた型で相手を見るのですから、相手にしてみれば、自分のことをわかったつもりになってることで余計に気分がわるい場合だってあるでしょう。調査をしないペルソナみたいなもんですね。

インプットそのものが相手とのコミュニケーションであって、それは単純に相手を知ることだけでなく、自分が何をすべきかを発想するための場にもなると思うんです。自分が何ができるかはもちろん大切だとは思うけど、それだけじゃダメで、相手を理解した上で適切なものを自分が出せるかという姿勢がなければコミュニケーションて成り立たないと思うんですよね。

それはもちろん、恋愛においても、デザインにおいても。デザインってコミュニケーション以外の何物でもないと思います。

相手の期待に応えるアウトプット力

というわけでコミュニケーションであるがゆえに、相手が何を欲しているかが理解できても、それに応える能力がないといけないわけです。外国人に話しかけられて、相手の言ってることはなんとなく理解できても、それに対して返答するための語彙をもたなければ相手の問いに答えることもできないのといっしょです。

ボキャブラリが少なければどんなすごいインプット力を身につけても恋愛もデザインもできないのかもしれない

ユーザー中心デザインだとか、人間中心設計をうたっているリサーチ屋さんがダメな場合、このアウトプット力に問題がある場合が多い。いや、UCD・HCDに限らず調査屋さんの問題はアウトプットのデザインができないところに尽きます。
逆にいえば、メーカーはインプットができない。インプットとアウトプットがこんな風に完全に分業にされたままでは、まともにユーザーが行列をなして欲しがるようなデザインなんて生まれっこありません。そして、行列にもならずに、なんとなく買うような商品に対しては、ユーザーはどうでもいい不満を並べ立てるだけで、いいところなんてこれっぽちも見てくれない。そうなると、もう負のスパイラルです。どうでもいい不満を並べ立てるユーザーの声を元に改善を行うわけですから、デザインしててもつまらないこと、この上ない状態になるでしょう。恋愛の末期状態みないたもんですね。

反対に、行列してでも欲しくなるようなものであれば、もう細かい不具合なんてユーザーは気にしません。アバタもエクボです。「自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジーは、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセスでもある」(バーバラ・M・スタフォード『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』)ですよ。どう考えても、こっちの方向にもってたほうが得なのに、そういう方向性でデザインできないんですよね、ほとんどの企業が。それもインプットとアウトプットの分裂に1つの原因があると思うんですよね。

というわけで、相手のことをどんなに理解できても、アウトプット力がなければ遠くの木の蔭から眺めているだけで終わってしまいます。アウトプット力がなければ、恋愛もユーザーの問題を解決することも決して成就しません。まさに、ペルソナ作って、それからどうするの?です。

恋愛とユーザー中心デザインの違い

恋愛もユーザー中心デザインも、インプットとアウトプットの両方があってこそだと思うんですよね。

ただ、恋愛とユーザー中心デザインでは違うところもあります。
ユーザー中心デザインであれば、「考えて実行する5段階プロセス」で書いたような流れに従って行動すればなんとかなります。ようは計画さえしっかりすれば、それなりの結果は出せます。もちろん、その際、基本スペックと経験値・価値観も絡んできますが。
一方で、恋愛って計画どおりに進めればいいってもんじゃないですよね。デザインっていうより編集的。相手とのコミュニケーションのなかでリアルタイムで編集作業を行い、インプット/アウトプットのサイクルをまわしていかなくてはいけないから高度です。

ずっと昔、僕は恋愛さえうまくできれば仕事なんていくらでもできるって言ってたことがあります。だって、恋愛に比べたら仕事なんて計画的に進めることでいくらでもうまい対応が可能ですから。
うまくいかないのは計画も仕組みもなしに場当たり的な対応をしてるからで、相手のことも考えずに、自分たちの閉じた殻のなかだけで物事を考えてるからにすぎません。相手のことをちゃんと考え、そして、それに基づき計画を立てて、実行・改善をまわしていけば、そこそこ期待する結果なんて簡単に出せるはずです。結果が出ないのは、計画もなければ、計画を立てるためのインプットも怠ってるからだけです。仕組みもなければ戦略もない状態でうまくいくほうがおかしい。

一方で、恋愛となると、そう簡単じゃないですよね。計画や戦略だけじゃ、うまいこといきませんわ。
ほんと、恋愛に比べたら、仕事なんて、なんと簡単で単純なものか。

はい。まとめ。

  • デザインするなら、ちゃんと対象となるユーザーのことを理解した上で、計画・戦略を練った上でアウトプットをしていきましょう。
  • 人について考えることは目の前の相手のことをちゃんと考えるのとおなじくらい当たり前のことだと思う。それができてない従来のデザインやビジネスがおかしい。
  • 恋愛に比べたら仕事なんて簡単。



関連エントリー

この記事へのコメント

  • 山本

    恋愛とか何でもある程度は「資金力」で
    解決できるような気がします。
    資金力の無い者は知恵と工夫でやるんですが、それが成功すると即、資金力のある者が
    買収しようとするんですね。
    2008年07月04日 10:46

この記事へのトラックバック