couldの長谷川さんが「クリエイティブになるための4つの視点」というエントリーを書いていますが、僕は心がけるのはたった1つでいいと思う。
それは
外部と能動的に関わることで変化を生み出そうと心がけること
です。
外部と能動的に関わることで変化を生み出そうと心がける
「外部」といってるのは、人でもモノでもいいと思います。ただし、わざわざ外部といったのは、自分とは異質なもの、違うものである必要があると思うからです。できれば、違うだけでなく似ていた方がいい。差異と同時につながりもあったほうがいい。完全に外部を客観化してしまうのではなくて、自分もその中にいれた形で「外部」を見つめられるといいと思う。「自分を含む環境」というものに能動的にアクションするということでしょうか。例えば、ライバルを意識することです。ライバルを強く意識しながら自分が変わっていくこと。できれば、相手も自分を意識してくれていると、なお、いいでしょう。お互い切磋琢磨する状況が生まれるので。
また例えば、外部の人とのコラボレーションを行うことです。協働作業をするコミュニケーションのなかで、相手を理解し自分を理解してもらうやりとりを言葉や身振りを含む実際の行動としてやっていくなかで、これまで自分にも、相手にもなかった創造的なものが生まれてくる可能性は大いにある。もちろん、自分も相手もともに心を開き、積極的に自分たちが変わろうとしなければ、互いに自分の殻に閉じこもってしまい、新しいものは生まれないでしょうし、そもそもコミュニケーション、コラボレーションがうまくいかないでしょう。はじめての相手とのコミュニケーション、コラボレーションをうまく進めようとするなかに、クリエイティブの芽が生まれて育つのだと思います。
創造性は自分と外部のあいだに
創造性は、自分の中から生まれるのではない。かといって、それは外部にあるわけでもない。それは自分と外部が積極的に関わる、そのインタラクションのなかにこそ発見されるものです。「暗黙知はどこにあるか?/情報は界面にある」で書いたことと似てますね。自分の知を使うのでも、外部の知を使うのでもない。自分と外部のコミュニケーションのなかで新しい知をつかむこと。それがクリエイティブなことなのでしょう。まわりと関わることで創造性を発見するのです。
僕自身の場合、外部は人であって、ほかの人と協働作業をするなかで発見を見出すのがやりやすいですけど、モノとそれができる人もいると思います。なので、必ずしも「外部」は人である必要もないと思います。
「変化を生み出そうと心がける」の部分は「どうなったらクリエイティブになれるのか」という問いですからほとんど前提条件です。変化を生み出す意思があることは最低条件ですから。
ですので、その前提条件を省けば、もっと単純に「外部と能動的に関わる」ことがクリエイティブになるためのたった1つの視点だといえると思います。
「デザイン」というのは、もともとはTo do with signs、「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法のことなんだね。
これとも関係してることです。「外部」の発する小さなサインでも見逃さずに、それにどう対処するかというところに、創造性は生まれてくるのだと思います。
ですので、みなさん、積極的に能動的に「外部」に踏み出していくことをおすすめします。
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