ユーザーに関する調査をせずに作ったユーザー像なんてペルソナって呼びません。
それってもっともらしくユーザーについて考えた風なだけです。
そもそもね、ペルソナ/シナリオ法で大事なのは、ペルソナを作るほうじゃなくて、ユーザーの行動やその背景を調査して、ユーザーとモノとのあいだのインタラクションを見直すことです。むしろ、調査して、きちんと分析するならペルソナなんか作らなくていいくらいです。それを調査もせずにペルソナを作りましたなんていうコンサルタントがいたら信用しないほうがいいですよ。
調査・分析でユーザーの行動構造をモデル化できなければペルソナなんてただの妄想
もちろん、形式ばった調査だけが調査ではありません。『ペルソナ作って、それからどうするの?』のケーススタディでも例として挙げていますが、普段から自社製品のユーザーの利用状況を観察できる立場であるなら、むしろ、そのほうがユーザーを調査会場に集めて行う会場調査より、役に立つデータが得られるかもしれません。ただし、「イノベーションのコツ:鍵は鍵穴といっしょにつくれ!」でも書いたとおりで、ユーザーの行動は観察する視点でいくらでも変わります。真実のユーザーの姿などはなくて、あくまで観察者との関係性においてのみユーザーの行動は解釈されうるのです。ユーザー調査を行ったのちに、調査データからユーザーの行動を分析するために、ワークモデルを使ったインタープリテーション・セッションを行うのは、解釈そのものをデザインチームで共有するためです。
この調査から分析・解釈の部分がペルソナ/シナリオ法のキモであって、ここの部分の技術がないとロクなペルソナはできません。調査・分析を経た構造的なユーザーモデルが見えているからこそ、ユーザーとモノとのインタラクション構造を描けるのであって、それがなければペルソナなんてただの妄想でしかありません。
目に見え手に触れられるモノの存在によって、人間の行動がどれほど規定されているかということがあまりに見えてないんですよね、みんな。まさに「ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」なんですけどね。
デザインする人はナチュラルもアーティフィシャルも視野に入れたヒストリアンじゃないと
もう1つ、それと関連することでユーザーについて知ると同時にやっぱり歴史的視点から現在の環境を眺められる視点がないといけません。それにはとうぜん歴史をある程度、知ってなければダメです。『ペルソナ作って、それからどうするの?』でも、調査のところでユーザー調査とともに、モノの歴史を知るための調査をしましょうって書きました。これ、ほとんどのUCDの本が言ってないけど、IDEOはちゃんと言っててさすがだなって思います。
だからこそ、このあたりをきちんと歴史的にも紐解いている高山宏さんの『表象の芸術工学』は読んだ方がいいよって思うわけです。
20世紀の初頭まで、ほとんどの自然科学者は「ナチュラル・ヒストリアン」でした。「サイエンティスト」とは呼ばれていない。博物学は、動物学、植物学、地質学、鉱物学、天文学などみな含めて、フォークロアや神話まで含める、興味深い学問のあり方と記述法を示します。
いまこそデザインにこういう視点が必要なんですよね。デザインする人は、ナチュラルもアーティフィシャルも視野に入れたヒストリアンであることが必須だと考えます。
言葉の分析よりも視覚的分析が今後のUCDの課題
調査したデータ・イメージをとにかく並べてみる。やっぱり、ここは観察主体の調査です。言葉を聞くのではなく、よい目(グッド・ルッキング)で見ないといけません。そして、分析をする際も本当は録画したイメージを中心にやったほうがいい。そういう非-言語的な記述法に分析ができるかどうかが今後のポイントだと思います。UCDが一皮むけるには、そういうアナロジーを使ったアブダクション的類推法を手に入れないといけないはずです。まじめな話。調査も分析もなしといったレベルでペルソナ作っておいて、なーんだ、ペルソナなんて役に立たないじゃないかなんて言われてもねって思います。
だって、ユーザー中心デザインの1手法なんだから、一度もユーザーを見ずにペルソナ作りましたなんてこと自体、おかしいってことになんで気づかないんでしょうね? 流行りで使ってるだけなんでしょうか?
野村監督じゃないけど、「考えてペルソナつくれ」とボヤきたくなります。
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