「ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践 前編|後編」では、自分で自分を育てるためにはどのような姿勢で普段から取り組めばよいか。また、そのためにはどんな実践が必要かについてのアイデアをいくつか紹介しました。
先の2つのエントリーに寄せられたコメントにもありましたが、そこで書いたことは「ウェブ」に限ったことではないと僕自身は思っています。エントリー中の「ウェブ」ってところを別の言葉に置き換えてよんでいただければ、結構、いろんな業界で通用するのかな、と。
ところで、最初に書いたとおり、本人はまぁ自分で自分を鍛えていこうという意思があったとしても、まわりの環境がその努力を認めなかったり、やりにくくするようだと、やっぱり人材が育つのってむずかしいのだろうなって思います。
今回はそのあたりに着目して、企業組織や学校などがいかに育つことができる場を提供できているか?という点について書いてみようと思います。
人材育成を長い目で見ることができるか?
さて、まず最初に問わなくてはいけないのは、人材の育成というものをどれだけ長い目で見ることができているかという点だと思います。「ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践 前編|後編」では、「とりあえず5年間で300冊を目指そう」をはじめ、結構、長いスパンで「育つ」ということを考えています。「とりあえず5年間で300冊を目指そう」に関しては、僕は一般社員なんかより、まず経営者がそれを満たしてなければ失格というくらいのルールがあってもいいのかなと思ってるくらい。そういう5年10年というスパンでいろんなことが考えられているの?ってところを組織はもうすこし考えていいと思います。
まず、昨日今日の売上だったり、今年の成績ばっかりにしか目が向いてない会社じゃ、長いスパンで育とうとしている人の意思を折りますよ。もちろん、意思が強い人はなかなか折れませんけど、すくなくとも折れずにがんばれる人の数を減らすでしょう。
同じように、経営層が将来のビジョンを明確に示せてない会社も、社員が自分自身の育成を長いスパンで考えられるようになるにはむずかしい環境にあるのだと思います。だって、組織の将来が不透明なのに、自分自身の将来だけを長い目でみようとしても、組織がいまここしか見てないのだから、そのギャップはスタッフに居心地のわるさを感じさせます。
もちろん、これは全社経営のレベルだけでなく、部門単位でも同じです。上司が将来のビジョンを示せなかったり、先輩後輩の関係でも、まわりに近視眼的な目しか持てない人ばかりだったら、なかなか自分だけ遠いところを見続けるのはむずかしくなります。
あなたは部下や後輩にちゃんと将来のビジョンを示せてますか?
人材が自ら育つような時空間という場を与えられているか
すでに何度も引用してますが、茂木健一郎さんは『天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』のなかで<創造性は「過去の経験×意欲」という掛け算であらわすことができる>と言っています。「意欲」のほうは本人の問題だとして「過去の経験」のほうは組織がサポートできることです。スタッフがチャレンジできる問題とそれに取り組める環境をちゃんと提供できているか。また、そうしたチャレンジから得られる経験を大事に考えているか、です。
しかも、「過去の経験」は累積がポイントなんですから、ある程度、長い目で見てあげなければどうしようもない。3年で辞められるような組織環境をつくってたんじゃどうしようもないわけです。
同じことがブルーノ・ムナーリが『ファンタジア』のなかで書いている次のような一文にも見てとれると思うんですね。
もし子供を創造力にあふれ、息の詰まったファンタジア(多くの大人たちのような)ではなく、のびのびとしたファンタジアに恵まれた人間に育てたいなら、可能なかぎり多くのデータを子供に記憶させるべきだ。記憶したデータが多ければその分より多くの関係を築くことができ、問題につきあたってもそのデータをもとに毎回解決を導きだすことができる。
「記憶したデータが多ければ」です。多くのデータが得られる環境をスタッフに与えられているか。
環境というのは時間も含みます。5年10年というスパンで、人材が自ら育つような時空間という場を与えられているかということを組織は自問した方がいいと思います。
ロールモデルって何?
あとですねー、僕がずっとあやしいと思ってる言葉の1つに「ロールモデル」って言葉があります。何それ?って感じです。同じような意味でウェブ業界にも見本になるようなスターが必要とかいう議論もいまいちよくわかりません。
そもそも「ウェブディレクター」とか「ウェブデザイナー」なんて職能の人を育てようとしてるんじゃないですか? はたまた個々人もそういう職能として育つことを目標にしてません?
まぁ、それも否定しませんけど、僕が今日気づいたのは10年近くウェブ業界にいましたけど、僕自身、いわゆるそういう一般的な職能として仕事してたことってほとんどないなってことです。実際、前の会社では社内での僕の肩書は「タナハシステム」でした。だから、暗黙知が云々って話題になるんですけど、僕はそれでいいんじゃないかと思うんです。
もちろん、自分が何ができるかってことを一般的な職能ベースで語れるようにすることは大事だと思います。でも、自分や他人を一般的な職能に押し込める必要はないでしょうって思うし、それを自分育成の目標にするのは違うんじゃないのって思ってます。
とにかくどういうディシプリン(分類)かにこだわらず、役に立つよう育てばいいんです。で、役に立つようになれば、自分自身がやってこと自体、1つのディシプリン(分類)になるのですから。
そういうことをきちんと伝えられる人がいないのこそ、企業組織や学校で人が育たない原因の1つなのかななんて思います。
「□+□=10という設問」を提示できるか?
で、人に何かを教えるとか、人に何かを学んでもらうということをそういうレベルで考えているから、人が育たないんじゃないの?って思います。育つということがどういうことか、学ぶということがどういうことか?を考えずに、ロールモデルだの、スターが必要だとか言っても意味がない。そりゃ、そういう見本があったほうがモチベーションにはなるでしょうけど、先にも書いたように意欲(モチベーション)だけじゃどうにもならないのですから。
日本の算数教育では、4+6=□という形で設問が用意されるが、海外のある学校では、□+□=10という設問で足し算を学ぶと聞いた。□の中に入れる組み合わせは自由であり、自分で考えるしかない。
この「□+□=10という設問」を提示できるかなんだと思います。自分で育つしかないといっても、育ってもらおうと思っている組織の側が何の設問も提示しないのでは、ダメなんです。
ここを勘違いしてる組織もいっぱいあって、経営者が何にも考えてないし、何も提供しないで「現場で考えろ」なんていう。そんなのただの怠慢です。
「□の中に入れる組み合わせは自由であり、自分で考えるしかない」というのはいいんです。でも「□+□=10という設問」を提示できないのなら、経営者はいらない。上司も先輩もいりません。後進が育つためのサポートができないなら同じ給料で働けって感じです。
「4+6=□」なんて答えの決まりきった質問は提示しなくてもいいですけど、経験を積ませて人材を育成しようというのなら「□+□=10」という問題は提示しなければ、後進が経験の蓄積をすることもできません。明確なビジョンをもたない経営者、上司、先輩はこの設問そのものを提示できないんですね。
そんな組織で人材が育つとしたら、それは勝手に育った人材がよほど優秀か、会社の外でクライアントやお客さんが育ててくれているのかもしれないと考えたほうがいいと思います。
僕自身の過去を振り返ってみると
で、なんでこんなことを思ったかというと、僕自身、振り返ってみると、大学時代や一部の企業ではそうやって自分で自分を育てる環境を用意してもらえていたし、育つためのサポートとしての「□+□=10」という問題もちゃんと提供してもらっていたなと思うからです。発売したばかりの著書の「おわりに」でも書いてますが、『ペルソナ作って、それからどうするの?』なんて本を書けたのも、そういう育つ場・育つためのサポートをいただけたおかげだと心から思っています。この本だけじゃないんです。そういう場の提供、サポートがあって、なんとかウェブの業界で10年やってこれたと思ってます。もちろん、蛇行できる自由をもらえたおかげで「タナハシステム」なんて独自のポジションでやらせてもらえたんだと思います。
その内容については、また明日以降書いていこうと思いますので、今日はこのへんで。
関連エントリー
- ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(前編)
- ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(後編)
- 創造性は「過去の経験×意欲」という掛け算であらわすことができる
- 天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎
- 自分の仕事をつくる/西村佳哲
- ファンタジア/ブルーノ・ムナーリ
- モノからモノが生まれる/ブルーノ・ムナーリ
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