2017年07月18日

変身物語/オウィディウス

「創造」とか「イノベーション」という言葉より、「生成」という言葉のほうが、何かが新しく生みだされる様をその背後のしくみまで匂わせるという観点からはしっくりくる。
ようは前者の人為的なクリエイションがなんとなく陳腐に感じてしまい、後者の自然が何かを生みだす力のほうにより大きなクリエイティビティを感じてしまうのだ。実際、どんなに人工的なものでも、創作の根本には自然の影響がある。創造性を発揮する人間の思考そのものさえも。

もちろん、人為的なクリエイションを否定するつもりなどは毛頭ない。
ただ、人為的なクリエイションを考える際、今後はこれまで以上に、自然の創造力を人為的なクリエイションにどう活かせるか(あるいは、どう影響を受けているか)ということを視野に入れていくとよいのだろうと感じる。
世の中で、アート&サイエンスあるいはデザイン&サイエンスの融合などと言われているのは、そういう面も含めてのことであろう。

変身物語


そのような意味において、いまから2000年も前に書かれたオウィディウスの『変身物語』は、今回読んでみてあらためて、アート&サイエンス的なクリエイションを代表するような作品だと思った。

変身は生成である。
変身は、自然の力による創造でもあり、イノベーションでもあるだろう。いやいや、人間もまた自然の一部であるのだから、殊更、自然と人工を分けて考えるのはいまどきナンセンスだ。だから、わざわざ「自然の力による」などとことわる必要などない。自然と人工のもつれをあらためて認識することこそ、現在のトレンドだ。

そう。そのような観点において、ほとんどまだ存在を知られていない微生物が実は人間の身体においても精神においても多大な影響を与えていることか判明してきたり、遺伝子情報の取り扱いコストが劇的に下がったことでそれを情報メディアとして扱うことも含め、比較的誰でもやる気になればハッキングすることが可能になったりなど、バイオ=生物学的な観点でさまざまな創造性が見直されようとしている現代の状況において、『変身物語』の変身・生成に対する視点は、とても示唆的だと感じるのだ。

その意味で、オウィディウスの『変身物語』は、いまこそ『創造物語』であり『イノベーション物語』として読み直す価値のある作品だと感じた。

「変身物語/オウィディウス」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 09:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする