2017年04月04日

とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー

「ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった」。

これが『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』で著者のポール・バロルスキーが描くルネサンス文化のイメージだ。




ユーモラス、冗談、剽軽、奇矯、ウィット……。
ルネサンスと聞いて、すぐさまこれらの印象を思い浮かべる人がどれだけいるだろうか。
それくらい、バロルスキーが教えてくれるルネサンスのイメージは、通常のルネサンス像とは距離があるように思う。そして、この距離感こそが僕の興味をひいたものの正体だ。僕は違和感に興味をひかれる。

「この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエナの裕福な銀行家アゴスティーノ・キージのヴィッラである」と、バロルスキーは続けている。

ここでいうアゴスティーノ・キージのヴィッラは、ローマにある「ヴィッラ・ファルネジーナ」だろう。
その邸宅には、ラファエッロ・サンティが「ガラテアの勝利」を描いた「ガラテアの間」や、建物そのものの設計も担ったバルダッサーレ・ペルッツィによる遠近法を使っただまし絵のみられる「遠近法の間」など、ウィットに富んだ数々の作品が描かれている。

僕が興味をそそられるのは、バロルスキーが続けて書く、こんな「キージの剽軽趣味」があまりに僕らの感覚とはかけ離れているからだ。
キージの剽軽趣味はたとえば、宴会で会食の1コースが終わるたびに、使われた金と銀の皿をテヴェレ河に放り投げさせて客を仰天させたという逸話によく表されている。
ポール・バロルスキー『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』

一皿食べ終われば使っていた高価な食器を放り投げて捨てる。浪費この上ない、無意味な行為だが、これがルネサンスの時代の剽軽な振る舞いだとすれば、この笑いに対する圧倒的な違いはなんなのだろう?

そう不思議に思わずにはいられない。

「とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー」の続き
タグ:ルネサンス
posted by HIROKI tanahashi at 22:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする