2017年02月15日

謎めいたものを理解しようと輪郭をつかもうとしても、不定形なそれはするりと逃げていく

未知を既知に変換すること。理解できないものを理解できるものへと移行させること。
その際には、発見あるいは変身あるいはメタファー的なジャンプが必要であると、前回の記事「発見、メタモルフォーゼ、そして、不一致の一致」では書いた。

未知を既知へと変換すること、それは謎めく不定形な状態に、明らかなる形象を与える行為でもある。世界が謎めいているからこそ、僕らはそれを理解せんと務めるのだろう。
だから、謎に立ち向かうつもりのない人に、まだ見ぬ未来はその姿を開示しようとはしない。形のない闇のような謎のなかに手をつっこむことでしか、人は新しい世界を切り拓くことなど、できない。それはいまにはじまったことではない。

Bruegel,_Pieter_de_Oude_-_De_val_van_icarus_-_hi_res.jpg
ピーテル・ブリューゲルの模写「イカロスの墜落のある風景」(1560年代)
イカロスの墜落を描いたブリューゲルの作品は、オリジナルは失われ、模写のみが残る
ここで面白いのは、イカロスの墜落が牧歌的な農村の風景に埋没している点だ
これこそ後半で書くデュオニュソスとダイダロスの結合による悲喜劇的なものだろう


未来は予測するものではなく、作るものだという時、その制作の際の素材はこの闇のように形のないドロドロとした謎なのである。
その謎めく不定形さと、人意的に与えられる明らかなる形象の関係を、ギリシア神話の世界のデュオニュソスとダイダロスの関係として解いたのが『文学におけるマニエリスム』におけるグスタフ・ルネ・ホッケである(本の紹介記事はこちら)。

今回は、ホッケがマニエリスム的態度の根底におくデュオニュソスとダイダロスの関係について読み解きながら、どのような態度が「未知の既知への変換」には必要なのか?ということを考えてみたい。
「謎めいたものを理解しようと輪郭をつかもうとしても、不定形なそれはするりと逃げていく」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 08:43| 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする