2017年01月17日

鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ

この本を読んで人間が生きる環境の変化はこれほどまでのものかとあらためて驚いた。
鉄道以前と以降で、これほどまで人間の生きる環境が大きく変化したなんて。



もちろん産業革命を経て人間の暮らす世界が大きく変化したであろうことはわかっていたし、同じような話は読んだこともある。けれど、こう「鉄道旅行」というキーワードに絞り込んだとき、あらためて変化の度合いは大きく、またリアルに感じられた。

例えば、すでに記事にも書いた標準時のこと
いまでこそ当たり前に使われている世界の標準時というシステム自体が100数十年前のイギリスの鉄道の普及の歴史とともに生まれ、世界的なしくみとなったもので、それ以前は街ごとにその街の時計台の時間を街の標準時として使っていて、時間は街それぞれで固有の時間を持っていたことなんて、この本ではじめて知った。

あるいは、鉄道馬車という言葉は聞いたことあったし、それが蒸気機関車が走り始めるすこし前まで使われていた鉄のレールを走る馬車であることはわかっていても、そのレールの上を走るのが自家用の馬車であり、それゆえにとうぜん起こるべき問題として同一線路上のすれ違いも、鉄道から通常の道路へと馬車を移す際の手間などで途端に交通に支障をきたすということが現実に起こっていたなんて知らなかった。

「鉄道はあまりに新奇なものであっただけに、一般交通機関としての鉄道の利用を喧伝する人たちさえも、初めは誤解していた」と、この『鉄道旅行の歴史』の著者ヴォルフガング・シヴェルブシュは書くが、「一大機関のように働く鉄道は、その部分が相互に密接に結びあい、その運行には最低限の統一が要求される」ものであり、「独立自営の何人もの代理人によって運営できるものではない」ことも気づかないほどに、人工的な乗り物といえば、一般路を走る自家用の馬車しかなかった時代の人たちが「統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする」鉄道の運営というものに思いいたらないということが、僕自身、思いいたらず、自家用鉄道馬車がいろいろ問題を抱えつつ走っていたということに驚いた。

まったく、なんて僕らは過去の生活環境に無知なんだろう。
鉄道馬車の当時の人が、統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする鉄道運営に思い当たらなかったのと同じくらい、僕らは標準時のない環境、馬車しか交通手段のない環境のことをイメージできないのだ。僕らが普通にしている数駅離れた会社に時間通りに通うということも、その当時はありえなかったということを想像できないくらい、僕らは現代の枠組みに囚われてしまっている。そんな想像力の監獄のなかで、どうして自分たちの環境を変えるような発想ができるのか?

この本を読んで、そう思った。
この本を紹介することで、みなさんにもすこしでも、その感覚は共有できるだろうか?

「鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 08:27| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする