2017年01月08日

プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった

ひとつ前の記事で紹介した『モナリザの秘密』という本のなかで、著者のダニエル・アラスはこんなことを言っている。
14世紀初頭から19世紀末にかけてのヨーロッパ絵画を特徴づけるのは、それが自然の模倣という原理のもとで描かれているということです。
ダニエル・アラス『モナリザの秘密』

一見どうということのない当たり前のことを言っているようにも思える。
だから、つい読み飛ばしそうになる一節だが、これ、ちょっと立ち止まって考えてみると結構いろんな疑問が浮かび上がってくる発言だと思う。

例えば、
  1. 「14世紀初頭から19世紀末にかけて」がそうだったら、その前はどうで、その後はどうなのか?とか
  2. というか「ヨーロッパ絵画」というけど、絵画以外ではどうなの?とか
  3. で、結局のところ、それはどういうことなの?とかとか

ちょっとした文章でも読み飛ばさず、疑問をもって考えてみることって大事だよねと思う。

で、ひとつひとつ考えてみると、それぞれこんな風に答えることができる。
  1. その前のヨーロッパ中世の時代は神の世界を描いてたし、その後の19世紀末くらいからはターナー、そして、印象派をはさんで抽象的表現が主流となり、自然の模倣から離れていく(その変化の起点ともいえるターナーに影響を与えているのがゲーテの『色彩論』における残像であり、そしてそれを起点に展開される生理学的な視覚論などだけれど、いってみればそれは17世紀以降のデカルト〜ニュートン由来の機械論的な視覚論&光学の見直しだった)
  2. というわけで、絵画以外ではどうなの?という問いについては、中世は絵画はまったく芸術における中心的な地位を占めてしなかった。建築や彫刻、ステンドグラスやタペストリーなどの複合的なものの統合によりキリスト教世界を表現していたのが中世までの芸術だ。一方、20世紀以降の抽象絵画以降の現代においても同様で絵画は芸術における中心的な位置を占めていない。そこで僕らはあらためて気づく。絵画中心の芸術観自体がむしろ「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の特殊例なのだと。
  3. そして、絵画が芸術の中心を占めていた「14世紀初頭から19世紀末にかけて」こそが絵画のような静的なイメージによる思考の時代であり、同時にそれは機械論的な因果関係が信仰されていた時代であったのが、現代ではそれが動画的な落ち着かないイメージだったり、CGのように現実界にオリジナルももたなければ、場合によってはプログラムによる生成などによりオリジナルの作者性さえ危うくなったイメージに取って代わられており、そのイメージの自在な可変性がそのまま複雑系の答えが予測できない世界像に反映されていたり、無限に複製可能で可変性のある信頼ののおけないイメージよりも、ライブでの体験に価値が感じられるようになっていたり、と、ある意味、いま絵画中心の時代の美術史を語る意義そのものが問われているわけだ。

これだけが正解というのではなく、あくまで解答例ね。


14世紀以前の中世美術を集めたパリのクリュニー中世美術館の展示
タペストリーや祭壇などが展示されているが、それらは個別の作品というより教会といキリスト教的空間を織り成す一部だ


前の記事でもダニエル・アラスが芸術を歴史的な視点でみる際、アナクロニスムに気をつけろという指摘をしているという話をしたけど、「14世紀初頭から19世紀末にかけて」以外では、芸術も違うし、その環境も違うし、人々の考え方も違う。もちろん、その「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側でだって、芸術も環境も考え方も変化してる。でも、やっぱり大きな区分として「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側と、その外側にある前と後ろの違いのほうが大きい。

例えば、前であれば「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」ような芸術観だったし、そういう価値観をつくりだす社会環境だったわけだ。ちなみに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」といったのはドイツ生まれの美術史家エトガー・ヴィント(エドガー・ウィントと表記される場合もある)で、著書『シンボルの修辞学』のなかでそう書いている。

そして、なぜ、こんな話をはじめたかというと、ちょうど一昨々日の夜、元同僚と3人で新年会をした際に、プラトンのイデアと美の話になって、『シンボルの修辞学』中のプラトンの芸術観についても話したからだ。今日はそのあたりの話をあらためて文章にしてみたい。

「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」の続き
ラベル:美術史 イデア
posted by HIROKI tanahashi at 19:09| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする