2014年08月07日

夢十夜を十夜で/高山宏

いい本があるのではない。いい読書があるだけなのだと思う。

いい本があったら教えてくださいと言われることは多いけど、そんなことは教えられるものではないとなかなか教えられるものではないと思う。いい本かどうかは読書する人次第であって、結局は読む人が自分が読みたいと思う本を読む以外に、いい読書をする方法はないと思います。



勉強のために本を読む場合でも実はおんなじだ。

勉強したい分野にあわせて、読む本を選ぶのはいまどき間違いだと思う。
さまざまな領域で専門分野なるものが瓦解している現在において、ある領域の知を得るためにその領域の専門書を読むというのはナンセンスだということに早く気づいたほうがいいと思います。

本当に何かを学びたければ、好きな内容の本を読み、そこで感じたことを自分の学びたいこと、自分自身の生活や仕事、生き方、思考のほうに引き寄せればよい。はじめから読む本の領域と自分の側の領域があっていることを期待するような”閉じた”読み方をしようとしていたこれまでの発想が間違いです。

どんな本を読もうが、自分の側に引き寄せ、そこから自分にとって意味のあることを学び取る。
専門領域、専門知識なんてものにこだわっている限り、本から学びは得られません(単に頭のなかに学びというのなら別でしょうけど)。

さて、そんな意味で、領域などを超えた「本当の読書」を繰り広げた読書コラボレーションの軌跡が高山宏さん著となっている『夢十夜を十夜で』です。
「著となっている」としたのは、これが夏目漱石の『夢十夜』を題材に、高山宏さんと学生が創造的なコラボレーションを繰り広げた10の講義を元にした書き下ろしだから。この講義が文学部で単に文学作品を扱うという体裁をとらずに、明治期の日本を代表する作家・夏目漱石を「マニエリスム」という視点から、さまざまな領域を横断的に読み込んでいく様子がなかなかスリリングでおもしろい(ここで漱石という名を聞いて、「あー文学の話ね、おれ関係ないや」と思ってる時点で、時代遅れの専門領域の罠にはまってしまっています)。

ただの偶然、ひょっとしたら遊びと感じられるかもしれないが、表向きの言葉の各種の遊びを体系的、強迫観念のようにうみ出す文学をこの四半世紀、マニエリスムの文学と呼んできた。これからさまざまに見られた夢がいろいろに語られる文章を丁度我々に与えられた10コマにおさまるよう10個ばかり一緒に読んでみるが、この10篇を一貫してマニエリスムの文学とは何かを論じることになれば最大の目的は達せられる。

学生たちによる朗読、読んだあとのレポート、そしてレポートに対する高山さんのフィードバック、さらに『夢十夜』以外の本や芸術作品あるいは漱石が生きた時代の社会状況なども絡ませながら夢十夜を一夜ずつ読み進んでいく講義は、この上なく学びで満ちていたであろうことが想像できます。

そんな講義の記録である本書を今回はほんのすこしだけ紹介します。

「夢十夜を十夜で/高山宏」の続き
ラベル:夏目漱石
posted by HIROKI tanahashi at 22:42| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする