夢十夜を十夜で/高山宏

いい本があるのではない。いい読書があるだけなのだと思う。 いい本があったら教えてくださいと言われることは多いけど、そんなことは教えられるものではないとなかなか教えられるものではないと思う。いい本かどうかは読書する人次第であって、結局は読む人が自分が読みたいと思う本を読む以外に、いい読書をする方法はないと思います。 勉強のために本を読む場合でも実はおんなじだ。 勉強したい分野にあわせて、読む本を選ぶのはいまどき間違いだと思う。 さまざまな領域で専門分野なるものが瓦解している現在において、ある領域の知を得るためにその領域の専門書を読むというのはナンセンスだということに早く気づいたほうがいいと思います。 本当に何かを学びたければ、好きな内容の本を読み、そこで感じたことを自分の学びたいこと、自分自身の生活や仕事、生き方、思考のほうに引き寄せればよい。はじめから読む本の領域と自分の側の領域があっていることを期待するような”閉じた”読み方をしようとしていたこれまでの発想が間違いです。 どんな本を読もうが、自分の側に引き寄せ、そこから自分にとって意味のあることを学び取る。 専門領域、専門知識なんてものにこだわっている限り、本から学びは得られません(単に頭のなかに学びというのなら別でしょうけど)。 さて、そんな意味で、領域などを超えた「本当の読書」を繰り広げた読書コラボレーションの軌跡が高山宏さん著となっている『夢十夜を十夜で』です。 「著となっている」としたのは…

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読書の歴史―あるいは読者の歴史/アルベルト・マングェル

考えるためには「知識」というリソースが欠かせません。 考えるということは、さまざまな知識を組み合わせ、組み立て、その集合・レイアウトから、新たなストーリーや価値、企画や謀略などを生み出す活動に他ならないのだから。その活動の質を左右するものの1つが、知識というリソースをどれだけ有しているか、また、有したリソースにどれだけ可用性を担保できているかということでしょう。 思考のための訓練には、日々、そうした知識のアーカイブをどれだけ進めているかということも含まれるはずです。 そうした観点において、知識をアーカイブし、かつ、その可用性を高く維持するものとしての書籍の地位は、現在においてもさほど低くはなっていないと感じます。 インターネット時代となり、いつでも手元で容易に情報が引き出せるようになっても、はたまた、さまざまなコミュニティにおいて開かれた形での勉強会やセミナー、ワークショップなどで知を有するもの同士がその知をつなげて新たな価値をその場でつくりだせるような時代となっても、知識を思考につなげるという観点においては、いまなお書籍というメディアの果たす役割はほかの何かに劣るようにはなっていないと思っています。 特に個人の思考力を高めるという観点においては、これほど強力なメディアはいまだ他にはないでしょう。 最近、あらためて「独学力を鍛えることが大事!」と思っているのですが、この独学力があるかどうかって、読書をどれだけできるか、読書をどれだけ思考につなげられるかということのほ…

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