2017年01月20日

アナモルフォーズ/ユルジス・バルトルシャイティス

1637年、ルネ・デカルトは公刊した『方法序説』で自身の機械論的世界観の一部をおそるおそる明らかにしている。その著作では「思考をもたず、言葉をもたない動物は機械にすぎない」という動物機械説を含む、デカルトの機械論的な世界観が展開されている。



デカルトは、有機体の肉体を自動機械としてみることで、こう説明している。
動物一個体の肉体中にあまた蝟集(いしゅう)し輻輳(ふくそう)するところの骨、筋肉、神経、動脈、静脈その他悉皆の部分に比べるとほんの僅かと言わるべき数の部分品を用いて、人間の匠みがいかに多種多様なオートマータ即ち自動機械をつくり上げることができるものかを弁(わきま)え知り、この肉体をしも一個の機械とみなしているような人々の目には、このことは全然奇異には映るまい。
ルネ・デカルト『方法序説』

このデカルトの機械論的発想は、人間の身体にも及ぶ。ただし、人間は世界を機械的に感知する。ただ、それは世界をそのまま見るのではなく、すこしズレたイリュージョンとして見るのだとデカルトは考えた。

そんなデカルトが懇意にしていたミニモ会士でプラトン主義者であったマラン・メルセンヌ師を介して、同じミニモ会修道士でメルセンヌの弟子であり、数学者であったジャン=フランソワ・ニスロンにもこの機械論は共有されていた。
そのニスロンの1638年の著作に『奇妙な遠近法』がある。デカルトの『方法序説』の翌年の公刊であり、1646年のラテン語版は『光学魔術』と改題されている。副題は「奇妙な遠近法、或いは驚異の効果の人工魔術」である。ニスロンはこの魔術の効果を「人間の芸術と巧智が到達しうる最も美しく、最も素晴らしいもの」と讃える。
ニスロンはその論のなかでデカルト同様に「自動機械(オートマータ)」に触れている。「自然がうんだものででもあるかのように口をきくアルベルトゥス・マグヌス作の青銅頭像、学あるポエティウスの玄妙至極のわざは青銅の蛇にしゅうしゅう啼かせ、青銅の小鳥にさえずらせた」と自動機械への関心を示す。

そのニスロンの関心の中心にあるのが、自動機械としての遠近法であった、というのが、今回紹介する『アナモルフォーズ』の著者ユルジス・バルトルシャイティスである。
機功を匿(かく)した精密機械の一種として、事物を遠ざけたり近づけたり形態をイリュージョンの宇宙の中で生き生きと動かしてみせたりする遠近法も、同じような範疇に属するべきものであった。
ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』

ここでデカルトの話に戻る。

デカルトが『方法序説』で自身の機械論的世界観を主張する際、「おそるおそる」だったのは、1633年にガリレオ・ガリレイが異端審問を受けていたからだ。それをきっかけにデカルトは予定していた『世界論』の公刊を断念した。その一部をあらためて略述したのが『方法序説』であり、問題になりそうな地動説に関する論考は控え、『屈折光学』『気象学』『幾何学』などを選んで附している。
その俗に『方法序説』と呼ばれるデカルトの著書の原題は『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論』である。つまり「序説」および「方法の試論」の2つからなる。この後者の「方法の試論」にあたるものに含まれるのが『屈折光学』『気象学』『幾何学』であり、その『屈折光学』で展開されるのはニスロンが『奇妙な遠近法』で記したのと同様、遠近法とその光学魔術的側面なのである。デカルトはそこに「見かけのウソ」をみた。彼の懐疑論の根幹の1つがここにあるといって良い。

では、デカルトが17世紀の半ばにみた「見かけのウソ」とはいったい何だったのだろう?
それこそが本書『アナモルフォーズ』がテーマとする、ゆがんだ画像を円筒などに投影したり角度を変えてみたりすることで正常な形が見えるようになる、遠近法の応用としての視覚表現技法である。

「アナモルフォーズ/ユルジス・バルトルシャイティス」の続き
タグ:デカルト
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2017年01月18日

観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー

なぜ20世紀のはじめに突如として抽象画が生まれたのか?
画家たちはなぜ急に、ずっと続いた自然の模倣をやめたのか?

あるいは、その予兆として、19世紀の終わりに印象派が、15世紀以来続いていた遠近法的な視点を放棄したのは何かきっかけがあったのか? よく言われるように、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが印象派を30年も先取りした絵を1840年代には描き始めていたとしたら、何がターナーにそうさせたのか?



なんと、そのきっかけがゲーテが1810年に出した『色彩論』だったというのが、本書『観察者の系譜』の著者ジョナサン・クレーリーである。

クレーリーは、ヨーロッパにおいて「観察者」というものが大きく変化したのが1820年からせいぜい1830年頃にかけてだと言っている。いや、正確には「観察者」の立ち位置が変化したというよりも、その頃にはじめて「観察者」という概念が生まれたのだとクレーリーは言う。

ゲーテは『色彩論』の「まえがき」で「色彩は光の行為である。行為であり、受苦である」と書いている。
これこそ、視覚という概念の大きな転換であり、「観察者」を生みだしたゲーテの発見である。クレーリーが本書で言っているのは、まあ、そういうことだ。

行為としての色彩。
つまり、このとき、はじめてデカルトやニュートン以来ずっと機械的なものと考えられていた視覚が生理学的なものに変わったのだ。いや、より正確に言うなら、そのとき、はじめて「生理学」的なる考えが生まれたのだとクレーリーは指摘している。

機械的な視覚から、生理学的な視覚へ。
それがどういう意味をもつのか? どんな変化をもたらしたのか? それが本書『観察者の系譜』が論じている点である。

「観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー」の続き
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2017年01月17日

鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ

この本を読んで人間が生きる環境の変化はこれほどまでのものかとあらためて驚いた。
鉄道以前と以降で、これほどまで人間の生きる環境が大きく変化したなんて。



もちろん産業革命を経て人間の暮らす世界が大きく変化したであろうことはわかっていたし、同じような話は読んだこともある。けれど、こう「鉄道旅行」というキーワードに絞り込んだとき、あらためて変化の度合いは大きく、またリアルに感じられた。

例えば、すでに記事にも書いた標準時のこと
いまでこそ当たり前に使われている世界の標準時というシステム自体が100数十年前のイギリスの鉄道の普及の歴史とともに生まれ、世界的なしくみとなったもので、それ以前は街ごとにその街の時計台の時間を街の標準時として使っていて、時間は街それぞれで固有の時間を持っていたことなんて、この本ではじめて知った。

あるいは、鉄道馬車という言葉は聞いたことあったし、それが蒸気機関車が走り始めるすこし前まで使われていた鉄のレールを走る馬車であることはわかっていても、そのレールの上を走るのが自家用の馬車であり、それゆえにとうぜん起こるべき問題として同一線路上のすれ違いも、鉄道から通常の道路へと馬車を移す際の手間などで途端に交通に支障をきたすということが現実に起こっていたなんて知らなかった。

「鉄道はあまりに新奇なものであっただけに、一般交通機関としての鉄道の利用を喧伝する人たちさえも、初めは誤解していた」と、この『鉄道旅行の歴史』の著者ヴォルフガング・シヴェルブシュは書くが、「一大機関のように働く鉄道は、その部分が相互に密接に結びあい、その運行には最低限の統一が要求される」ものであり、「独立自営の何人もの代理人によって運営できるものではない」ことも気づかないほどに、人工的な乗り物といえば、一般路を走る自家用の馬車しかなかった時代の人たちが「統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする」鉄道の運営というものに思いいたらないということが、僕自身、思いいたらず、自家用鉄道馬車がいろいろ問題を抱えつつ走っていたということに驚いた。

まったく、なんて僕らは過去の生活環境に無知なんだろう。
鉄道馬車の当時の人が、統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする鉄道運営に思い当たらなかったのと同じくらい、僕らは標準時のない環境、馬車しか交通手段のない環境のことをイメージできないのだ。僕らが普通にしている数駅離れた会社に時間通りに通うということも、その当時はありえなかったということを想像できないくらい、僕らは現代の枠組みに囚われてしまっている。そんな想像力の監獄のなかで、どうして自分たちの環境を変えるような発想ができるのか?

この本を読んで、そう思った。
この本を紹介することで、みなさんにもすこしでも、その感覚は共有できるだろうか?

「鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ」の続き
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2017年01月14日

シンボルの修辞学/エトガー・ヴィント

ダニエル・アラスの『モナリザの秘密』書評)に続いて、同じ美術史家である エトガー・ヴィントの『シンボルの修辞学』を読んだ。



アラスの本がラジオ番組を元にして作られたこともあって非常に読みやすかったのに比べると、こちらの方がすこしむずかしくはあった。アラスが1944年生まれで2003年に亡くなっているのに対し、ヴィントはもうすこし前の時代の人で1900年にドイツで生まれ、1971年イギリス・ロンドンで亡くなっているということで、より時代背景的に身近なアラスのほうが共感しやすいというのもあるだろう。
でも、むずかしくはあるが、理解できないような本ではないし、ちゃんと読めばすごく面白くて、僕の関心ごとにどんぴしゃな本だった。僕がどれだけこの本を読んだのをきっかけに考えさせられたかは、すでに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」という記事でも紹介している。

「シンボルの修辞学/エトガー・ヴィント」の続き
タグ:美術史
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2017年01月10日

北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て

雨の降る日曜日に、上野の国立西洋美術館へ「クラーナハ展」を観に行った。
会期終了が迫るなか、唐突に観に行こうと思ったのは、そういえば北方ルネサンスのこと、よく知らないなと思ったからなのと、ちょうど読んでいた『シンボルの修辞学』で著者のエトガー・ヴィントが、同時代のドイツの画家グリューネヴァルトに関して論じるなかで、クラーナハや同じく北方ルネサンスを代表する画家であるデューラーの話をこんな風に持ち出していたからである。
グリューネヴァルトはクラーナハによる聖ゲオルギウスの木版画を知っていたにちがいなく、それはデューラーの人体を手本に制作されたものであった。もしデューラーのものを近代性の指標として認めつつ、制作年代どおりデューラーを最初に、グリューネヴァルトを最後にして3点を並べるなら、それらが示すのは後退性である。
エトガー・ヴィント『シンボルの修辞学』

デューラーの絵は実物を美術館などでちゃんと観たことはあまりないが、それでも図版などで何点か観て知っている。グリューネヴァルトに関しては、その代表作ともいえる「イーゼンハイム祭壇画」をフランスのコルマールで観て、すごいと思ったので印象に残っている。


グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」の展示風景
ウンターリンデン美術館が改装中だったため、近くのドミニカン教会で展示


ただ、その2人と同時代を生き、ともに北方ルネサンスを代表する3人の画家のひとりに数えられるクラーナハに関しては、あまりよく知らなかった。だから、土曜日に、上の引用を含む話を読んでいて、ちゃんと観ておかなくてはと思ったのだった。
「北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て」の続き
タグ:クラーナハ
posted by HIROKI tanahashi at 22:18| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

鉄道が標準時をつくった

びっくりした。
知らないことを突然知るのは驚きである。

いまヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史』という本を読んでいるが、その中にこんな一節がある。
地方は、具体的にその時間を失う。鉄道により、その地方的な時間が奪われてしまう。地方が個々に孤立しているかぎり、地方にはそれ固有の時間があった。ロンドンの時間はリーディングより4分、サヤレンセスタより7.5分、ブリッジウォーターよりも14分早かった。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

最初読んでもピンとこなかった。その前に鉄道によって空間の間を移動する時間が大幅に短縮され、空間同士の距離が小さくなるといった話があったので、その流れで地方が同じ生活時間圏内になるといった話かと思った。

それにしては「ロンドンの時間はリーディングより4分…」のくだりの意味がわからない。
読み進めると、わっ!と思った。
時間の統一は、英国では1840年頃個々の鉄道会社が独自に企てる。各会社が自分の路線にそれぞれ標準時間を導入する。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

え?もしかすると、それまでは街ごとに標準時が違ってたということ?と思い、電車の中だったが、すぐにWikipediaを調べると、こうあった。
標準時が導入される以前は、各々の自治体ごとに(もしその町の時計があれば)その町での太陽の位置に合わせて時計を合わせていた。すなわち都市や観測地点ごとに定めた平均太陽時であった。

ヨーロッパの街の中心部に古い時計台があるのもそのせいなのだろう。


エクス・アン・プロヴァンスの17世紀の天文時計台。市庁舎広場にある。


「地方は、具体的にその時間を失う」とは比喩的な意味ではなかった。
まさに鉄道の普及の際、「地方にはそれ固有の時間があった」状態が変化したのだ。
では、なぜ、それが19世紀後半の鉄道普及の際だったのか?
「鉄道が標準時をつくった」の続き
タグ:鉄道 標準時
posted by HIROKI tanahashi at 13:55| 文化史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった

ひとつ前の記事で紹介した『モナリザの秘密』という本のなかで、著者のダニエル・アラスはこんなことを言っている。
14世紀初頭から19世紀末にかけてのヨーロッパ絵画を特徴づけるのは、それが自然の模倣という原理のもとで描かれているということです。
ダニエル・アラス『モナリザの秘密』

一見どうということのない当たり前のことを言っているようにも思える。
だから、つい読み飛ばしそうになる一節だが、これ、ちょっと立ち止まって考えてみると結構いろんな疑問が浮かび上がってくる発言だと思う。

例えば、
  1. 「14世紀初頭から19世紀末にかけて」がそうだったら、その前はどうで、その後はどうなのか?とか
  2. というか「ヨーロッパ絵画」というけど、絵画以外ではどうなの?とか
  3. で、結局のところ、それはどういうことなの?とかとか

ちょっとした文章でも読み飛ばさず、疑問をもって考えてみることって大事だよねと思う。

で、ひとつひとつ考えてみると、それぞれこんな風に答えることができる。
  1. その前のヨーロッパ中世の時代は神の世界を描いてたし、その後の19世紀末くらいからはターナー、そして、印象派をはさんで抽象的表現が主流となり、自然の模倣から離れていく(その変化の起点ともいえるターナーに影響を与えているのがゲーテの『色彩論』における残像であり、そしてそれを起点に展開される生理学的な視覚論などだけれど、いってみればそれは17世紀以降のデカルト〜ニュートン由来の機械論的な視覚論&光学の見直しだった)
  2. というわけで、絵画以外ではどうなの?という問いについては、中世は絵画はまったく芸術における中心的な地位を占めてしなかった。建築や彫刻、ステンドグラスやタペストリーなどの複合的なものの統合によりキリスト教世界を表現していたのが中世までの芸術だ。一方、20世紀以降の抽象絵画以降の現代においても同様で絵画は芸術における中心的な位置を占めていない。そこで僕らはあらためて気づく。絵画中心の芸術観自体がむしろ「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の特殊例なのだと。
  3. そして、絵画が芸術の中心を占めていた「14世紀初頭から19世紀末にかけて」こそが絵画のような静的なイメージによる思考の時代であり、同時にそれは機械論的な因果関係が信仰されていた時代であったのが、現代ではそれが動画的な落ち着かないイメージだったり、CGのように現実界にオリジナルももたなければ、場合によってはプログラムによる生成などによりオリジナルの作者性さえ危うくなったイメージに取って代わられており、そのイメージの自在な可変性がそのまま複雑系の答えが予測できない世界像に反映されていたり、無限に複製可能で可変性のある信頼ののおけないイメージよりも、ライブでの体験に価値が感じられるようになっていたり、と、ある意味、いま絵画中心の時代の美術史を語る意義そのものが問われているわけだ。

これだけが正解というのではなく、あくまで解答例ね。


14世紀以前の中世美術を集めたパリのクリュニー中世美術館の展示
タペストリーや祭壇などが展示されているが、それらは個別の作品というより教会といキリスト教的空間を織り成す一部だ


前の記事でもダニエル・アラスが芸術を歴史的な視点でみる際、アナクロニスムに気をつけろという指摘をしているという話をしたけど、「14世紀初頭から19世紀末にかけて」以外では、芸術も違うし、その環境も違うし、人々の考え方も違う。もちろん、その「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側でだって、芸術も環境も考え方も変化してる。でも、やっぱり大きな区分として「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側と、その外側にある前と後ろの違いのほうが大きい。

例えば、前であれば「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」ような芸術観だったし、そういう価値観をつくりだす社会環境だったわけだ。ちなみに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」といったのはドイツ生まれの美術史家エトガー・ヴィント(エドガー・ウィントと表記される場合もある)で、著書『シンボルの修辞学』のなかでそう書いている。

そして、なぜ、こんな話をはじめたかというと、ちょうど一昨々日の夜、元同僚と3人で新年会をした際に、プラトンのイデアと美の話になって、『シンボルの修辞学』中のプラトンの芸術観についても話したからだ。今日はそのあたりの話をあらためて文章にしてみたい。

「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」の続き
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2017年01月06日

モナリザの秘密/ダニエル・アラス

さて、2017年。今年はできるだけ小出しに自分が考えたことを外に向けて言葉で表現していく年にしようと思う。

というわけで、手はじめに年末年始にかけて読んだ、ダニエル・アラスの『モナリザの秘密』という本を紹介したい。



ダニエル・アラスはイタリア・ルネサンスを専門とするフランスの美術史家。惜しくも2003年に59歳で亡くなっている。この本が僕にとっては最初のアラス体験だったが、読んでみて、すでに亡くなっていることを惜しいと感じた。そのくらい、僕にとっては、このアラスという人の考え方は興味深く好感をもてた。

さて、そんな感想をもったこの本は、そのダラスが死の数ヶ月前まで担当していたラジオ番組が元になっている一冊だ。ダラスは不治の病を悟って、この番組を担当することにしたそうだ。
講演集や対談集などもそうだが、しゃべったものを文字にした文章というのは比較的読みやすいものが多いと思う。この一冊もまさにそう。平易な言葉選びと、それほど複雑でない論理構造が、理解をしやすくさせていると感じる。
また、ラジオ番組という時間の枠が決まった中で1つの話をはじめ、完結させる必要があることもあり、25の章ひとつひとつがとてもわかりやすい流れではじまり、まとまっていく。そんな25の小分けの話がたがいにつながったり、つながらなかったりしながら、展開されていく構成は、読む側も肩肘張らずに気軽に読める感じがまた良い。
もちろん、そんな読みやすさを抜きにしても、僕にとってはアラスの思考自体がとても面白かったので、読み始めてすぐにこの本を気に入った。

「モナリザの秘密/ダニエル・アラス」の続き
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2016年12月01日

「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」と「想像できるからこそ世界はデザインできる」

完全にこちらのブログは更新が止まっていますが、会社のブログのほうに2つ記事を書いたので紹介。

ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方


"理解する"ことと"創造する"ことの深いつながり。従来の文脈とは異なる価値=意味をもたらすイノベーションが求められる時代だからこそ、未知の物事を自分自身で理解、解釈する力が求められているのだと思う。そんな考えをひさしぶりにブログ記事の形で書き出してみた。

想像できるからこそ世界はデザインできる


プラトンやアリストテレスなどのギリシアの哲学者は、哲学は驚きからはじまると言った。驚きこそが知的探求のはじまりにあると。
けれど、同じものをみても、驚けるかどうかは見方次第である。ゆえに知とイメージ力は関係する。
そして、なによりイメージする力、想像する力がなければ、思い通りの世界はつくれない。
そんな関係性をブログにまとめてみた。

興味のある方はご一読いただければ。
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2015年12月31日

2015年に読んで面白かった視覚表現史に関する7冊の本

さて、2015年も今日で終わり。
最後に、今年読んだ本をいくつか紹介しておきたい。
特に、今年は「視覚表現史」とか「視覚表現の変遷を通じた思考の歴史」とでも呼べそうな本を集中的に読んだので、その中から面白かった7冊を紹介しておきたい。

紹介するのは、この7冊。



  1. 高山宏『アリス狩り』
  2. バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
  3. ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』
  4. ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』
  5. サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
  6. マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
  7. ポーラ・フィンドレン『自然の占有』

では、1冊ずつ順を追って紹介。

「2015年に読んで面白かった視覚表現史に関する7冊の本」の続き
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2015年11月29日

思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀)

何のためかはひとまず置いておいて、先日、ふと思い立って、15世紀から19世紀にかけての芸術や科学にまつわる歴史的な出来事を中心に気になるトピックをポストイットに書き出し、並べてみるという1人ワークをやってみた。



やってみると、やはり面白いものでいくつか時代の変換点といえる地点が見えたり見えなかったりしたので、今回はそれをざくっとまとめてみる。

「思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀)」の続き
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2015年11月08日

いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない

本を読んでいて興奮することの1つは、いままさに読んでいる本の言葉の1つによって、いろんな別の本に書かれた内容がつながり、なるほど!と思える1つのストーリーが自分のなかで編集的につくられることだったりします。



昨日もバーバラ・M. スタフォードの『ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』を読んでいて、以下の一文に差し掛かったとき、別の本に書かれたさまざまなことが僕のなかでつながりました。

苦悶する肉体の許されぬものと官能ばかりを描く20世紀アイルランドの画家、フランシス・ベーコン(1909-1992)が、自らのおぞましい画像の数々を説明して、こう言っている。「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」、と。
バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』

スタフォードのこの本は、そのサブタイトルどおり、18世紀の医学とアートの深い共犯関係を明らかにしながら、その過程での「イメージ化」に際しての新古典主義的なものとロマン主義的なものの対立に幾度となく言及しています。

その1つの言及が先の引用であり、時代的には2世紀ほど下った時代のベーコンの言葉を引きつつ、ロマン主義的なるものが何故、病的なるものや汚れたもの、そして、暴力や死などに美を認めるのかという点について言及しはじめるのですが、この文のすぐ先には「生とは気味悪いしるし付け、まず性交、そして暴力的死であるに他ならない」といったことも書かれていて、このあたりから僕はまさに1つ前の記事で紹介したマリオ・プラーツがまさに19世紀のロマン主義から象徴主義げと連なる芸術の病的傾向を論じた『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』のことを思い出したり、こちらもしばらく前に紹介しているサイモン・シャーマの『レンブラントの目』も同時に思い出したりしたわけですが、前者はともかく、後者の17世紀の画家レンブラントを論じた本がなぜ、先の引用とつながるのかはこの時点ではよくわからないと思うのでそれについてもこのあと説明しつつ、僕が感じたことを今回の記事では記していきたいと思います。

「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」の続き
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2015年11月07日

肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー/マリオ・プラーツ

すこし前に19世紀への興味について書きました。



19世紀というと、20世紀生まれの僕からすると、そんなに遠く感じない時代かなと思う一方で、デザインの文脈でいえば、アール・デコやバウハウス的なモダンデザインが登場する前、せいぜいアール・ヌーヴォーが19世紀の末に登場したくらいの時期であり、社会の見た目はいまとは大きく違ってもいた時代だったはずです。

特に、ヨーロッパの都市は衛生状態が劣悪で、貧困層を中心に多くの死者や病人を出すことが18世紀以来続いていました。ようやくパリで、1853年から1870年まで17年にわたって知事を務めたジョルジュ・オスマンによる大改造が行われ、都市環境が改善されはじめたのが19世紀の半ば。実際、このあと紹介していくように、18世紀から19世紀の前半にかけては、パリなどの都市部ではペストや天然痘、ハンセン病などの感染症が流行し、それがロマン主義文学や恐怖小説などの登場にすくなからず影響しています。

いま僕自身の関心は時代をすこし遡って18世紀に移っているのですが、この感染症の流行などもそのひとつであるように18世紀について知ることで、あらためて19世紀が見えてきた部分もあるので、そのあたりもふまえてすこし自分の整理のためにひさしぶりにブログを書いてみたいなと思います。

ということで、19世紀について何のとっかかりもなく書くのもむずかしいので、19世紀について知るために読んだ本のなかから1冊、マリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー』を紹介しつつ、話を進めていこうと思います。

「肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー/マリオ・プラーツ」の続き
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2015年08月24日

本を読むときに何が起きているのか/ピーター・メンデルサンド

僕らはごく普通に「あの本はわかりやすい、この本はわかりにくい」などと言ったりします。
でも、そもそも「本がわかる」というのはどういうことなんでしょうか?



作者の綴る言葉から何がわかればわかったと感じ、わからない場合はどういう意味でわからないと感じるのでしょう。作者の言うことがそもそもわからないのか、何を言っているかはわかっても、だから何なのか?がわからないのか。
そして、わかりやすさやわかりにくさは、そもそも、それぞれの本がもつ特性なのでしょうか?

ある本は、ある人にはわかりやすく、また別の人にはわかりにくいかもしれません。ある人にとってわかりやすい本でも、それがおもしろいかどうかはまた別物だったりするし、その面白さもまた人によって異なるでしょう。

百聞は一見にしかずと言いますが、本を通じてわかることは、何かを見てわかることと同じなのでしょうか。
複数の人が同じ何かを見た場合、その視線でとらえたものに大きな違いはないと思われますが(見た後の解釈は除けば)、本を読んで感じることは人によって大きな違いがありそうです。
名もなき一匹の猫は誰が見ても、そう大きな違いを生じずに同じ一匹の猫として認識されそうだけど、「吾輩は猫である、名前はまだない」と書かれた文章から想起する猫は読んだ人のあいだでまったくバラバラになりそう。まさに「百聞は一見にしかず」で言葉をどんなに積み重ねても、目で見て誰もがわかるのとように、文章を通じて誰もが同じようにわかる状態をつくりだすのはかなりむずかしそうです。

それなのに、僕らはごく普通に「あの本はわかりやすい、この本はわかりにくい」などと言ったりします。
本を読んでわかるということ、いや、本を読むとはどういうことなのか?を深く考えたりもせずに。

「本を読むときに何が起きているのか/ピーター・メンデルサンド」の続き
タグ:理解 読書
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2015年07月04日

レンブラントの目/サイモン・シャーマ

17世紀の中頃、いよいよデザインという思考の形が人々の頭を支配しはじめたのがその時代であったと僕は考えています。

後に18世紀に入れなテーブル(表)にデータを並べる操作により、リンネにはじまる近代分類学という科学的な物の見方が生まれたり、さらにその1世紀後の19世紀には同じく品物をあるルールに基づき陳列することで、万国博覧会や百貨店という物の価値=意味を提示するための方法の創出にもつながっていくデザイン的思考によるさまざまな発明。

そんな風にさまざまなものを収集しレイアウトすることで意味=価値を生みだす視覚的イリュージョンが、17世紀の中頃から、それを行う人の思考さえもそれ以前とは大きく変えはじめます。その新たな思考の技法を駆使して、世界の見方を整え、理解を促そうという思考のあり方、つまり、デザインという思考のあり方が浸透しはじめた大きな変化のはじまりが17世紀中頃だったと僕はみています。



そんな17世紀中頃のまさに時代を変えた場所の1つであったアムステルダムという都市に生きた画家レンブラント。

その彼の生涯を、いや、それどころか、彼に先行するルーベンスの生涯どころか、その父親の生涯からたどることで、いかに17世紀のオランダやフランドル地方においてカトリックとプロテスタントの対立や、それと決して無関係ではないアムステルダムの経済的発展が、どのような形でルーベンスやレンブラントの芸術に影響を与えたのかをしっかりと描き出した700ページ、2段組の大著が今回紹介する歴史学者サイモン・シャーマによる『レンブラントの目』です。

分厚い本が好きな僕ですが、さすがにこの分厚さにはやられました。

この本を読みながらあらためて理解したのは、宗教改革という西洋におけるキリスト教社会の変革が人間にとってとてつもなく大きな変革をもたらす影響力の強いうねりだったのだということでした。そして、その影響が絵画の上にもはっきりとした形であらわれていて、その対比をみるのにルーベンスとレンブラントの関係はとても象徴的な関係であることも知りました。

はじめに書いたとおり、17世紀が人間の思考の大きな変革のポイントであったことは、これまでも折をみていろいろ(これとか、これとかで)書いてきましたが、まさにその変革の足跡がレンブラントの目によって描き出された絵画という形で残っていることを知り、どきどきしながら、700ページ超・2段組の大作を読み進めることができました。だから、このとてつもなく分厚い一冊も途中で投げ出すこともせず最後まで読み切れたのでしょう。

そんな濃い一冊から、1つのポイントとして、ルーベンスとレンブラントの関係をカトリックVSプロテスタントという対立という視点からすこしだけ書き出してみることで、この本の紹介になればと思います。

「レンブラントの目/サイモン・シャーマ」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:32| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする