2008年05月15日

隠れた繋がりを見つけることも・・・

僕もそう思います。

色々と繋げる、その中で、今まで聞いた事、見た事のあるものではなく、ないものを繋げる事。

創造力というのは、実はこの事じゃないかなと思ったりします。もちろん、この力以外にも必要なモノはあるのではと思いますが、主にこの力が使われているのかなーと。

あるものと別のあるものを繋げて、新たなものを創り出す。僕もそれが創造力の1つの形だと思います。
まぁ、その前に自分とは無関係だと思えるものにも興味を示せる好奇心が必要なんですけどね。未知のものの文脈に足を踏み込んでいけるかどうか。だって、それが問題を見つける力であり、創造性には問題が不可欠ですから(「好奇心とは独創的な問いを発見する情熱である」参照)。

それがクリアできてはじめて、一見無関係と思えるものに繋がりを見出すことっていうお題に入れるのかもしれません。

前に「一見縁遠きものたちの間に脈絡を付ける」でも紹介しましたが、松岡正剛と茂木健一郎が対談集『脳と日本人』のなかで、こんな掛け合いをしている部分があります。

松岡遠くを感じることが近さを強化していくんです。ニュートンのリンゴと星の関係のようにね。
茂木 一見縁遠きものたちの間に脈絡を付けるということですね。

内側で考えるのではなく、外側を見て、境界線上で考えることが大切なんだと思います。松岡さん風にいえば編集的視点でしょうか。

この能力の持ち主は、たとえば、IDEOのトム・ケリーが『イノベーションの達人−発想する会社をつくる10の人材』で挙げている人材像に重ね合わせれば、異なる業界、異なる分野を探り、そこで発見したことを自分達がデザインしようとしているものに見合うように変換するキャラクターである「花粉の運び手」に相当するでしょうか。あるいは、人々の行動を観察して、提供される商品やサービスと人々がどのようにインタラクションしているかを理解するキャラクターである「人類学者」もそれにあてはまるでしょう。

「隠れた繋がりを見つけることも・・・」の続き
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時間と仲良くやっていくには?

結局、いかに時間を制するかというのが、仕事をする上でも、人生を生きる上でも大事なことだろうなというのは否めないですね。

ただ「時間という限られたリソースを有効に活用する」なんて言い方は間違っていて、時間なんて決して固定的に限定されたリソースなんかじゃないと思います。

時間なんて複数あると思った方がいいと思います。
時計の時間もあれば、体感的な時間もある。何かが向こうからやってくることではじまる=開かれる時間もあります。「二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑/佐治晴夫、松岡正剛」で紹介したことですね。それ以外でも、正月などの儀礼の時間・ハレの時間は本来、普段のケの時間とは決して均質なものではないはずです。
その意味で時間は過去から未来に均質に流れているわけではなくて(時計の時間ではない)、過去の時間と未来の時間を現在において、どう認識してネットワークを生み出す方向にもっていけるかという視点もあります。それが時間と付き合うということであって、時計という物差しだけを頼りにしてその目盛りにあわせて行動したって、それは時間を有効活用したことにならない。むしろ、就業時間なんかにあわせる意識が高すぎると、仕事の効率はよけいに低くなる。この時間で何ができるかという発想じゃ、生産性なんて上がるわけないんですよ。

ようは、その無数に存在する時間をいかに使い分けるかということだと思うんですよね。もちろん、それには複数存在する時間ごとの違いが認識できないといけません。

「時間と仲良くやっていくには?」の続き
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2008年05月14日

デザインの現場に元気がない理由?

そんなこと思うの僕だけなのかな、とか思っていたら、やっぱりいまの世の中、プロダクト系のデザインが元気がないと感じている方はいるそうです。

元気がなくなるのはとうぜんで「売れるものをつくる」ということ以外に行動哲学がないわけだから、身体が元気よく動くはずもないんですよね。数字ばっかりいじくりまして、未来予想の出来そこないのようなことをしても、「何を作るのか?」という答えなんて見つかるはずはないですから。デザインの場合、未来を予測するんじゃなくて、自分たちがつくる未来を想像することが大事なんですから(「どういう世界を実現したいのか。そのために何が必要か」参照)。

もちろん、数字をいじくるなとかいうことではないんです。それはそれでもちろん必要です。デザインばかりが仕事の方法じゃないのですから、それはそっちでやっててくれればいい。ただ、それだけではものをつくるためのデザインを考える上では役に立つ情報とはならないことをちゃんと理解して、デザインの現場に必要以上に数字を持ち込むなということです。役に立たないものを仕事場に持ち込まれることがどれほど非効率化はそれこそ数字でわかるでしょう。

行動をうながす哲学がない

デザインには「売れるものをつくる」以外の行動哲学がなければ、実際にデザインをする作業につながる行動のモチベーション・元気など生まれるはずもないと確信しています。数字なんて過去の静的な状況しか表せないわけですから、動的にものごとの変化を捉えることが必要とされるデザインには向かないわけです。
もちろん、数学的に高度なモデリング発想ができる人なら数字もデザインに役立つでしょうけど、ほとんどの人はそうじゃないわけですから、もっと言葉で考え組み立てることやものそのものや現象そのものを見つめるようにしないとだめでしょって思います。
ようは哲学・思想を生み出せる人がいないってことですね。

そんな元気をなくしたデザイン現場の状況を微力ながらすこしでも変えられればという思いでやってるのが、先日から連載をはじめているペルソナスクエアでの「ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜」だったりします。
今日、「1-3.家政学とテイラー・システム」が公開され、いったん1区切りがついて、いい機会なので簡単にまとめてみようかと。

1-3.家政学とテイラー・システムhttp://www.personadesign.net/square/2008/05/13.html

「デザインの現場に元気がない理由?」の続き
タグ:デザイン
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2008年05月13日

「しきり」の文化論/柏木博

どう分けるか。あるいは、どう分かれていると認識するか。
それらは僕らがどう理解するか=分かるかに大きな影響を与えます。

仏教における「悟り」が通常の分割による「分かり方」とは別の分けずにあるがままの状態で認識することではないかという点については昨日の「空海の夢/松岡正剛」で書きましたが、そうした悟りの力を身につけていない場合での通常の「分かり方」では、どこに「しきり線」=境界を設けるかで、何を認識するかも変わってきます。
ものの見方とは、視線の位置を変えることで、このしきり=境界線をどこに見出すのかということなのかもしれません。複数の視点をもつということは、いくつものしきりを物事のなかに見出すことで、物事を異なる複数の軸で見ることなのでしょう

しきりとデザイン

僕らが見るモノには輪郭線があります。輪郭線の内側と外側で、モノとそれが置かれた環境は図と地の関係を成します。とうぜん、デザインをする際にはそれを理解した上で、様々なモノの輪郭を決めることになります。

深澤直人さんは『デザインの輪郭』のなかで、「デザインの輪郭とは、まさにものの具体的な輪郭のことである。それは同時に、その周りの空気の輪郭でもあり、そのもののかたちに抜き取られた、空中に空いた穴の輪郭でもある。その輪郭を見いだすことが、デザインである」と書いています。

モノ全体のフォルムだけでなく、パーツとしてのボタンや取っ手などの形体。あるいは、情報をどのように分類するかとかどういう順番で並べるかとか。はたまた、モノやヒトをどのような枠組みでどう配置するか。そうしたデザインを考えるうえで、どこにしきりを設けて、どのような輪郭を描くのかが、そのモノの機能や使いやすさ、そのモノの使い方の認識に関わってくることになります。

これまでも『近代デザイン史』『玩物草子―スプーンから薪ストーブまで、心地良いデザインに囲まれた暮らし』などを紹介し、ペルソナスクエアの連載では「バウハウスとユニバーサル・デザイン」などを書くのに大いに参考にさせてもらっている柏木博さんの『「しきり」の文化論』という本は、そうした人間の認知・理解にも大いに影響があり、物事のデザインにおいても重要な位置を占める「しきり」というものと文化の関係、歴史について、自己と他者を区分する免疫機能というしきり、ウチと世間のしきり、古今東西の建築におけるしきり、聖と俗、日常と非日常のしきり、など、様々な角度から考察した、デザインに関わる仕事をしている方には、非常に参考になることが多い一冊ではないかと思います。

「「しきり」の文化論/柏木博」の続き
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2008年05月12日

空海の夢/松岡正剛

木から降り二本足で立ち、直立歩行ができるようになった裸のサルは、両手が自由になって道具を操ったり指折り数えることができるようになり、目線が高くなって遠くまで見渡せる両眼視を手にいれ、声帯筋が直立することで声の分節化が行えるようになり、その声の分節パターンが大きくなった脳に記憶されることで言葉を操れるようになりました。

しかし、

まったく「坐る」とは東洋の恐ろしい発見だったと思う。
松岡正剛『空海の夢』

今日、暗く冷たい伽藍のなかの如来像や阿弥陀像をみてもわかるように、仏僧たちは直立歩行で自由になった手を結びなおし、両眼をあえて半眼のソフトアイにして、繰り返し経を唱えることで自由な発話・思考から離れることで、進化を抑制しようとしていたようにさえ思えます。

土橋寛さんの『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』という本を紹介した際に、「呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である」という言葉を引用しましたが、必ずしも仏教においては仏は間接的に願望を遂げるために頼る対象というよりも、「自然物や他者を直接的にコントロールする」力を失いつつある状況を脱するため、あるいは、すでに失ってしまったその力を取り戻すために、その行為を模倣する参照点ではなかったのかと、松岡正剛さんの『空海の夢』を読んで思いました。

言葉を自在に扱えるが故に頭に渦巻く邪念、近くにも遠くにも焦点があってしまう視線をもつが故に視界に飛び込んでくる様々な事柄、道具や数字を扱えるがゆえに遠くなる自然との距離。人間が最初に手に入れたそれらの技術がもたらした世界の混乱に立ち向かうための方法が「坐る」ということではなかったのか。呪術ではどうにもならない自分自身の問題に立ち向かう方法を仏教は生み出されたのではなかったのか。そんな気がしました。

「空海の夢/松岡正剛」の続き
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ペルソナスクエア連載>1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン

「ペルソナスクエア」の連載「ペルソナ作ってそれからどうするの?〜ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン〜」で、新しい記事が公開されました。

1-2. バウハウスとユニバーサル・デザインhttp://www.personadesign.net/square/2008/05/12.html

"化けもの進化"したものは破棄がおすすめ。」で「この辺に関しては明日か明後日あたり「ペルソナスクエア」の連載で話題にするので、そっちを参照してくださいな。」と書いたものです。

前回の「近代デザインが描いた未来のライフスタイル」では、自由・平等・博愛の近代主義の流れにのった近代デザインが、旧来の制度に縛られた生活様式から人びとを解放するために、誰もが自由に好きな生活様式を選択できるユニバーサル・デザインを理想として追求したことを紹介しました。(中略)今回は近代がユニバーサルなデザインを推し進めていく上で実際の原動力の1つとなったバウハウスでの実験的で先鋭的な試みについて見ていくことにしましょう。

"Human Centered Innovation"を標榜するイリノイ工科大学の"The Institute of Design"や"ISO 13407:1999 Human-centred design processes for interactive systems(インタラクティブ・システムのための人間中心設計プロセス)"とバウハウスのつながりについても紹介していますので、興味のある方は一読ください。

 

関連エントリー
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2008年05月11日

『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:3.日本文化・ものづくり編

発売まであと20日をきった『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』。おかげさまでアフィリエイトやランキングの推移をみていても、すでにamazonで予約をいただいた方がいるようです。ありがとうございます。amazonでも相変わらず書影の掲載はまだですが、こちらこちらに内容の紹介や目次など載せていますので、参考になさってみてください。
このブログを読んでいただいている方には楽しめる内容にはなっているかなと思いますので、ぜひ読んでみてもらえると光栄です。



さて、ちょっと間が空きましたが、「:1.デザイン編」と「2.認知科学・UCD編」に引き続き、『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献を紹介しようと思います。

今回の著書では「ユーザー中心設計の方法論を用い、その中心にペルソナ/シナリオ法を置き」ますが、「それを海外で用いられているそのままの状態で使うのではなく、日本型に変換」した形の日本型ユーザー中心設計プロセスを提唱しています。

もちろん、海外の技術を参照すること自体が悪いのではありません。日本ではそれは『古事記』が書かれる以前の時代からやってきたことです。というのも、『古事記』自体が文字をもたなかった日本が漢字という技術を導入して書かれたものなのですから。また、日本に限らず、海外の技術を自国に導入することはどこの国でもやっていることです。ただ、問題はその技術の導入が非常に表面的なところに終始している点です。『古事記』は漢字で書かれましたが、それは古来、日本にあった古語(ふること)によるオーラル・コミュニケーションを失わないよう万葉仮名による表記という方法を生み出すという配慮の元に行われたという意味で、現在のWebの技術をただ表面的に輸入している状況とは明らかに違います。
「はじめに 人びとの暮らしから考えるウェブデザイン」より

その日本型ユーザー中心設計プロセスというものを考え作るのにあたり、様々な日本のものづくりや文化に関する書籍を参考にさせていただいています。今日はそうした書籍のいくつかを参考文献として紹介していこうと思います。

「『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:3.日本文化・ものづくり編」の続き
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日本の伝統/岡本太郎

人間にはどうも自分が見えているもの以外が見えなくなるという傾向があるのは否定できません。
目に見えるものだけでなく、普段感じていないものに関しては、感覚を失ってしまうし、そもそも、感じたことがないものに関しては、知識では得ていても、その存在を認めにくくなってしまう傾向があると思っています。

長いあいだ、木々の生い茂った山々に足を運ばなかったりすれば、すぐにその山の空気が都会の空気とどれほど違うかは忘れてしまいますし、しばらく美味しいものを食べずにジャンクフードばかり口にしていると本当に美味しいものがどんなだったか忘れてしまいます。積雪の多い場所で暮らした経験がなければ、そこでどういう暮らしを営めばいいかは想像がつかないし、盆地の夏の暑さを経験したことがなければ、夏場に備えてどんな準備をすべきかもわからないでしょう。

目に見えないものを想像できる力がないと思考パターンが単調で狭くなる

こうしたことはわからないまでも想像力を働かせることで、その場になんとか意識をつなげることはできます。しかし、それが普段目の前になければ意識を保つことさえむずかしい。それはそれで仕方がないことだと思います。

ただ、問題は意識から消えたそれらのものの存在を本当に忘れて、まるでそれらが本当に存在しないかのような枠組みで思考してしまうのは、どうにかしないといけないでしょう。その場に存在しないものをいかに想像して、それらの存在を思考の枠組みに含めて思考を組み立てること。そういうことが必要な場面は往々にしてあります。にもかかわらず、多くの人が自分の思考パターンにだけ合わせて物事を見てしまって、そこに本来存在するものを思考の枠組みに捉えることができなかったりします。

結果、思いやりにかけたり、自分たちさえよければいいとか、いまさえよければいいとかいうような近視眼的な思考になったり、人間中心的思考になったり、いろいろ問題が出てきます。
繰り返しますが、人間って本来そうなりがちな傾向をもっているのだから、そうなってしまうことがあるのは仕方がないことです。ただ、そうなりがちだからといって、それは良くない結果につながるケースが多いのだから、それを注意して避けることはできるし、失敗をすぐに認めて修正することもできるはずです。

問題はそれができなかったり、そのこと自体が問題であることにすら気づかないでいることです。

つまりは「ギリギリの経験が高めるアンテナの感度」で書いたように、自分と過去や異なる空間をどれだけ関連付けて、他人ごとではなく自分ごととして感じて思考することができるかなんですけどね。

「日本の伝統/岡本太郎」の続き
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2008年05月09日

身体の一部としての道具という発想

先日、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を紹介した西岡常一さんは「わたしらにとって、道具は自分の肉体の先端や」と言っています。木のクセを知り、そのクセを活かすように木を切ったり削ったりする大工道具は、きっと自分の指先のように木の肌を感じたり、自分の腕のように自在に操れる必要があるのでしょう。斧で足を切らないためには服装もダボダボのものではだめで、足の形がはっきりわかるようなものでない「危のうてしようがないわ」と言っています。

この「道具は自分の肉体の先端」っていう考え、すごく大事だと思うんですよね。先端じゃなくてもいいんですけど、道具を身体の一部として感じ、扱うという感覚が。

「身体の一部としての道具という発想」の続き
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2008年05月08日

"化けもの進化"したものは破棄がおすすめ。

いま、ちょっと調べ物をしていたら、とんでもないものを見つけてしまいました。
松岡正剛さんが「千夜千冊」のサイトで、柏木博さんの『モダンデザイン批判』の紹介をしてるページです。
とんでもないものってのは、これ、これですよ。

なぜなら、これらの「もの」たちはその大半がすでに情報化をおえて、ただ都市店舗の棚と電子端末との棚で「待つだけのもの」にまで"化けもの進化"してしまったからだ。
これではリサイクルもエディティングもまにあわない。破棄がおすすめだ。そんなところを覗かないようにするしかない。

まぁ、デザインとかに関わっている人からすればとんでもないこと書いてくれてます。だって「破棄がおすすめ」、「覗かないようにするしかない」ですからね。でも、これがまた真剣にデザインを考えている人であれば同時に否定できないところでもあると感じると思うんですよね。

この文章はページの最後のほうにあるんですけど、松岡さんがこういう結論にいたるプロセスが全部読むとわかります(いや、わかならないかな?)。

「"化けもの進化"したものは破棄がおすすめ。」の続き
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2008年05月07日

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一

先に「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」でも紹介しましたが、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』は、法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さんが77歳当時(1985年)に語った話を口述筆記した一冊。
これを単なる仏教建築に関する本だと思ったら大間違い。ものづくりをする集団をまとめる棟梁として、木のこと、人のこと、そして、神や仏のこと。すべてにおいて学ぶものがあります。

「棟梁は、木のクセ見抜いて、それを適材適所に使う」ことと語る西岡さんは、また「木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」とも言います。
ふつうの大工と宮大工の違いを「仕事とは『仕える事』と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるということです。もうけとは違います。そんだけの違いです」と語る棟梁は、「アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?」で紹介した中世の庭づくりの技術書である『作庭記』に書かれた「石の乞わんに従え」という言葉そのままに、木と話をし、木のクセを活かして、さらにそれを組む人のクセを活かす方法を知っていました。
しかし、それは「自分が偉いんではない」、「遠い祖先からの恩恵を受けている」と語った西岡さんは1995年に86歳で亡くなっています。

それから、すでに13年。僕らは「遠い祖先からの恩恵を受けている」んでしょうか? また、受けようとしているのでしょうか?

「木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一」の続き
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『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編

『ペルソナ作って、それからどうするの?』の第1章では、「デザインって何なのでしか?」という問題の整理をスタート地点にして、「ウェブの制作とデザイン」、「創造性とデザインの方法」、「ユーザーの行動とデザイン」、「ウェブサイトをデザインする際の境界線問題」と話を進め、現在のウェブデザインの問題点と課題を整理・指摘しています。

それを受けた第2章は「ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」と題して、<「誰のためのデザインなのか?」という疑問に対して「誰のどんな問題を解決するのか」を明示するデザイン手法がペルソナ/シナリオ法>を紹介するとともに、「ユーザビリティとペルソナ」、「ユーザーエクスペリエンスとペルソナ」、「ペルソナを用いてインタラクション・デザインを考える」など、ペルソナ/シナリオ法を用いることで、ユーザビリティの問題やユーザー・エクスペリエンスのデザインをいかに解決できるかを考察しています。

ここではペルソナ/シナリオ法がどのような形でユーザビリティの向上に貢献しうるかという点を考察しようと思います。ただ、その考察をはじめる前に、まずユーザビリティとは何かを検討する必要があるでしょう。ユーザビリティはさまざまな形で解釈されており、理解の混乱もみられるからです。そのため、現在、どのような解釈がなされているかをざっと一望した後、本書でユーザビリティをどう扱うかをあらためて定義することにします。
「第2章 ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」より


さて、「『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:1.デザイン編」では広義のデザイン関連書籍を紹介しましたので、今回は、第2章で参照することが多かった認知科学、ユーザー中心のデザイン、人間中心設計に関する参考文献を紹介していきましょう。

「『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編」の続き
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2008年05月06日

『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:1.デザイン編

5月30日に発売になる『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』amazonでは予約を開始しています)では、ペルソナ/シナリオ法やユーザー中心デザインの手法を使った、Webサイトのデザインを進めるにあたっての日本的な方法を模索し、概要編と実践編との2部に分けて理論と実践方法という2軸から紹介しています。



今回、本を書くにあたっては、いろんな書籍を参考にさせていただきました。
今日から数回に分けてそれらの本を「『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献」と題して紹介していこうと思います。

「『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:1.デザイン編」の続き
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ほんまに賢いゆうのはどういうこと?

法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さん。
その西岡さんの話をまとめた『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を読んでいると、人間って昔にくらべて本当にアホになったんだなーと感じます。

例えば、西岡さんは、いまの建築基準法にダメ出しをしています。建築基準法では、コンクリートの基礎を打ちまわした土台に柱を立てろと書いてあるそうですが、「コンクリートの上に、木を横に寝かして土台としたら、すぐ腐りまっせ」と西岡さんは言います。20年もしたら腐るという。法隆寺や薬師寺では、石を置いてその上に柱を立てているから1300年経っても腐らない。

「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」の続き
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2008年05月02日

『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始

さて、突然ですが、本を書きました。

『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』という本です。初の単著になります。
発売は5月30日。気合の詰まった384ページ、¥2,940です。

追記(2008/05/02 23:25):
情報デザインフォーラムのほうにも関連情報を掲載しました。http://informationdesignforum.blogspot.com/2008/05/web.html

さて、内容と構成は、というと、
「『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始 」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 16:33 | コメント(0) | 言及した情報へのリンク (1) | | はてなブックマークに追加 | このエントリーをdel.icio.usにブックマーク


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