2017年03月07日

形象の力/エルネスト・グラッシ

何年かに一度、世界の見方を教えてくれる本に出会う。

6、7年前に読んだマクルーハンの一連の著作がそうだったし、バタイユの『エロティシズム』もそうだ。ユルジス・バルトルシャイティスの『アナモルフォーズ』やバーバラ・M・スタフォードの『ボディ・クリティシズム』などもそんな本である。

そして、このエルネスト・グラッシの『形象の力』もそんな本の集団に新たに仲間入りした一冊だ。



はじめのほうに出てくる「人間は〈世界未決〉である」という指摘がまず、しっくり来た。

「自分の環境に生きる」動物に対して、人間は「世界を持たない」。
だから、人間は自分が生きる世界とともに「自らを〈形成〉しなければならない」のだと、グラッシはいう。
世界を人工的に意味付けることで、自らが何者かも意味付けることができる。生きる環境と生きる自分自身を同時につくりあげることが人間には求められるということだ。

ギリシア神話で、自らがつくった迷宮にとじこめられた天才発明家ダイダロスを想う。
ダイダロスは蝋でつくった羽根をつけ、その迷宮から脱出することができたが、代償として自らの息子イカロスを失った。その意味で、抜けだした世界は、とじこめられる前にいた世界とは違っていた。
人工的な世界を形成し、それとは別の人工的世界を描くことでもうひとつの閉じ込められた世界から抜け出す。けれど、抜けだして向かった世界もまた別の意味で自ら作りだした迷宮でしかない。

ダイダロスを自分たちの祖先であると考えたマニエリストたちの綺想や驚異を愛する表現行為をヨーロッパ精神史における常数として見出した『迷宮としての世界』のグスタフ・ルネ・ホッケ。その才能を世に出したのが、このグラッシだという。
この『形象の力』を読むと、そのことに納得せざるをえない。
芸術とは、自然的、経験的、日常的な現象を世界突破する試みであり、その〈背後〉にある根源的なものを暴き出す試みであると。(中略)動物と比較してみたときの人間の〈未決〉状況は、芸術という現象が発生可能となるためにはどのように構成されるのか?
エルネスト・グラッシ『形象の力』

自らつくった人工の世界に自らを閉じ込める人間。けれど、その人工の世界の背後にある自然を人間に垣間見せるのもまた人工の術である芸術である。
ある世界から別の世界への入り口を切り裂いてみせるのが芸術。リフレーミングの術であろう。
そして、それこそが形象の力。未決から既決への移行のきっかけ、あるいは、痕跡としての形象。

この形象の力に気づかせてくれた点に、本書のすごさはある。

「形象の力/エルネスト・グラッシ」の続き
タグ:驚異 哲学
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2017年02月24日

シェイクスピア・カーニヴァル/ヤン・コット

何回かぶりの書評記事。
とりあげるのは、ヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』
でも、本の紹介にはいる前にすこし寄り道をしたい。



キリスト教の祝祭が、それまで様々な地域にあった異教の祝祭を吸収・統合しながら成立したことはよく知られている。
たとえば、代表的な祝祭でキリストの生誕祭とされるクリスマスも、古代ローマの祭で、12月17日から23日までの期間に開催されていたサートゥルナーリア祭(農神祭)が元になったと言われている。

この祭、社会的身分制度が覆されることを特徴にしていた。
期間中、奴隷は自由に振る舞い、主人より先に食事をすることが許され、人々はプレゼントを贈りあい、大いに飲んで食べて騒ぐことが許された。マルセル・モースが『贈与論』で語るような贈与性の名残も感じられる祭である。
「シェイクスピア・カーニヴァル/ヤン・コット」の続き
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2017年02月20日

既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に

どうやって本を選んでるですか?と聞かれることが、よくある。
その質問の意図は、ここでも紹介しているような、あまり人が読まないような本をどうやって見つけているか?ということだろう。

答えは単純。
ある本を読んでいると、その中にいろんな本が紹介、引用されているから、その中で興味をもったものを買っているだけ。僕自身からすれば、本同士が勝手につながっていく印象なので、選んでいるという感覚はあんまりない。

ただし、買ってもすぐに読むわけではなく、買って置いてある本の中から、次はこれを読もうと選んでいるのだから、やはり何かしらの基準で選んではいるのだろう。
ただ、そのときの基準は「なんとなく」でしかないので、これは答えようがない。

そんな本の連鎖がすごくうまくいく場合がある。最近もあった。

ここ数回続けて「理解する」ことに関する記事を書いた。この3つ。これが本との連鎖を生むきっかけとなった。

この3つの記事で書いてきたのは「理解する」ことと発見することの関係。そして、その発見という、未知のものが既知へと変化する際には、メタファ的な置き換え、あるいは変身ということが起こるといった話。
だいたいそのあたりが3つの記事を貫くテーマだったけど、今回運良く出会ったのもそのあたりに深く関連する本だ。それも2冊。ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』と伊藤博明『綺想の表象学―エンブレムへの招待』がそれ。



コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』のほうは、底が頂へと一瞬にして変容するカーニヴァル的な意味転換を論じ、『綺想の表象学』ではルネサンス期におけるヒエログリフ解読、インプレーサとエンブレムの流行の背後にある自然界の表象から隠れた意味を読み解こうとする際の図像と解釈の関係づけが論じられる。
ようは、いずれも何事か理解する際には、特定の表象が無意から有意へ、ある意味から別の意味へと転義あるいは変容されるのだといった、ここ数回論じてきた話しが語られている。

だから、僕の興味を惹かないわけがないし、また違った角度から、新しい理解を発見するということと、機知(ウィット)やユーモア、あるいはグロテスクや不安といったものとの関係をあらたな面から考えるヒントにもなっている。
「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」の続き
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2017年02月15日

謎めいたものを理解しようと輪郭をつかもうとしても、不定形なそれはするりと逃げていく

未知を既知に変換すること。理解できないものを理解できるものへと移行させること。
その際には、発見あるいは変身あるいはメタファー的なジャンプが必要であると、前回の記事「発見、メタモルフォーゼ、そして、不一致の一致」では書いた。

未知を既知へと変換すること、それは謎めく不定形な状態に、明らかなる形象を与える行為でもある。世界が謎めいているからこそ、僕らはそれを理解せんと務めるのだろう。
だから、謎に立ち向かうつもりのない人に、まだ見ぬ未来はその姿を開示しようとはしない。形のない闇のような謎のなかに手をつっこむことでしか、人は新しい世界を切り拓くことなど、できない。それはいまにはじまったことではない。

Bruegel,_Pieter_de_Oude_-_De_val_van_icarus_-_hi_res.jpg
ピーテル・ブリューゲルの模写「イカロスの墜落のある風景」(1560年代)
イカロスの墜落を描いたブリューゲルの作品は、オリジナルは失われ、模写のみが残る
ここで面白いのは、イカロスの墜落が牧歌的な農村の風景に埋没している点だ
これこそ後半で書くデュオニュソスとダイダロスの結合による悲喜劇的なものだろう


未来は予測するものではなく、作るものだという時、その制作の際の素材はこの闇のように形のないドロドロとした謎なのである。
その謎めく不定形さと、人意的に与えられる明らかなる形象の関係を、ギリシア神話の世界のデュオニュソスとダイダロスの関係として解いたのが『文学におけるマニエリスム』におけるグスタフ・ルネ・ホッケである(本の紹介記事はこちら)。

今回は、ホッケがマニエリスム的態度の根底におくデュオニュソスとダイダロスの関係について読み解きながら、どのような態度が「未知の既知への変換」には必要なのか?ということを考えてみたい。
「謎めいたものを理解しようと輪郭をつかもうとしても、不定形なそれはするりと逃げていく」の続き
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2017年02月11日

発見、メタモルフォーゼ、そして、不一致の一致

新たな理解が生まれるのを育むのは、すでに理解していることの背景にある枠組みである。
そんなことを前回の「理解を妨げるもの」という記事では書いた。
そして、それは新しい価値を創出するという意味でのイノベーションが生まれるのを阻害する要因でもあると。


フランス・アルルにあるレアチュー美術館での展示。
新古典主義の画家ジャック・レアチューのコレクションを元にしたレアチュー美術館のこの展示は、
レアチュー自身が古典的な均整のとれた人体像を描くのに、古代の彫刻の断片などを収集したことを示すものだが、
この展示に続けて、現代的な医学で扱われる人体をモティーフにした現代アート作品が置かれた瞬間、
科学的な身体の扱いと芸術家による人の体への関心がまったくひとつながりにつながる衝撃を感じる。
この日常的にはつながっていないモノ同士をつなぐ発見が今回の記事の主題である


実際、新たな価値の創出をめざして活動する企業内の取り組みでも、その目的とは真反対のことが起こりがちだ。
イノベーション創出のお作法に則って、エスノグラフィーなどのデザインリサーチでいろいろ情報を集めたり、オープンに多様な人を集めてのアイデアソンなどで数多くのアイデアを集めても、その後の統合作業がまったく新たな価値の種を見つけだそうとする発見の姿勢とは真逆のことが行われる。

どういうことが起こりがちかといえば、とにかく集めた情報、アイデアをすべて後生大事に積み上げ式でそこから何かを生みだそうとしてしまうのだ。
KJ法とは名ばかりの、ただの情報整理で出てきたアイデアを既存の枠組みのなかに押し込めるようなカテゴライズをしてしまう。当たり前だが、その作業により、本来、個々の情報やアイデアがもっていたかもしれない、個性的で未知のものであるような価値の種はすべて既存の枠組みによる理解で削ぎ落とされ、その後はそのまったく新しさを書いたカテゴリーの見出し語により、せっかく集めた情報もアイデアも扱われることになるのだから、そこから新しい価値が生まれてくる可能性は完全に絶たれてしまう。
そうなれば、どれも本質的な魅力を失ってしまっているから、議論はつまらぬ些細なディテールについてのダメ出しばかりのものとなり、そこにクリエイティブな思考は働かなくなってしまう。

“〈発見〉は〈証明〉に先行する”。

そう、書くのは前に「考えるための道具の修辞学」という記事でも紹介した『形象の力』の著者エルネスト・グラッシである。
なのに、発見こそが求められるであろう、新しい価値の創造の活動において、正しいものをひとつひとつ丁寧に検証しつつ積み上げていけば新たなものを作り出せるといった一昔前の証明的な思考態度がいまなおはびこってしまっている。

そんな思いもあり、今回は自分でも最近「発見とはどうやって起こるのだろうか?」と気になっている〈発見〉をテーマにすこし書いてみようと思う。

「発見、メタモルフォーゼ、そして、不一致の一致」の続き
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2017年02月08日

理解を妨げるもの

何かを新しく理解するというのはむずかしい。
目の前に理解すべき新しいものが提示されたり、新しい情報を耳にしたりすれば、新たな理解を獲得できるというものではない。見たことがないものはそれが何かを理解できないことが多いし、聞いたことのない話は理解がむずかしくて、理解していないものに関する情報はいくら提供されても理解につながるわけではない。

それは何も僕らのような人に限ったことではない。
歴史に名を残しているような科学者であっても、例外ではない。


パリの国立自然史博物館の「進化の大ギャラリー」
ルネサンス期にはじまる博物学の分野での蒐集文化は18世紀には現在のような博物館へと発展する


例えば、16世紀のイタリア・ボローニャで活躍したウリッセ・アルドロヴァンディという著名な博物学者もそうだ。
アルドロヴァンディについては「秘密の動物誌/ジョアン・フォンクベルタ&ペレ・フォルミゲーラ」という記事でも紹介したが、イタリア各地に植物を中心とした採集旅行を行い、4000を超える植物標本を残したり、それを16巻からなるカタログ化して残したり、医学・薬学の実験のための植物園などを開設したりといった博物学の歴史に大きな貢献を残したことで知られる。

そんな人でも、その功績により理解の深まりという結果を得られたかというと、そうではなかったりする。
アルドロヴァンディを主人公の一人として16世紀、17世紀のイタリア博物学の歴史を研究した『自然の占有』の著者であるポーラ・フィンドレンはこう書いている。
実際に博物学の形成に多大な貢献をしたにもかかわらず、アルドロヴァンディは結局のところ、新たなアリストテレス的カテゴリーの中に世界の全被造物を包摂することはできなかったし、プリニウスの『博物誌』を完成させようとして計画された事象-蒐集のプロセスを最後まで成し遂げることもできなかった。自然の事物の量はたしかに増大したが、理解の質はより深まったであろうか。
ポーラ・フィンドレン『自然の占有』

数多くの採集活動、それを元にした分類、行った数々の実験により、認識している情報の量は確かに増えた。けれど、それがアリストテレスやプリニウスなどの古代ギリシアやローマの博物学の系譜に新たな理解を付け加えることになったか?という観点からみると、疑問であることを指摘するのがフィンドレンである。

では、なぜ、アルドロヴァンディはそれほどまでに数多くの蒐集、実験を行いながらも、新たな理解の獲得に至らなかったのか?
そこに「なぜ理解はむずかしいのか?」を考えるヒントがあるように思う。

「理解を妨げるもの」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:43| 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

考えるための道具の修辞学

どのように考えるかは、どんなツールを使って考えるか?に大きく依存する。

たとえば、普段の仕事で、何らかの提案資料やプレゼンテーション資料をまとめる際も、いきなりパワーポイントやキーノートのようなプレゼンテーションツールを使ってその内容を考えるのか、そうではなく、最初はテキストエディターで伝える内容を文章で書きだす作業をしたあと、プレゼンテーションに落とし込んでいくかで、単に作業効率だけでなく、考えることの内容自体が実は大きく異なるということに気づいているだろうか。
見映えという面までいっしょに作りこむことになるプレゼンテーションツールだと見映えのフォーマットにどうしても思考は制限されるが、文章のみで考える場合、そのフォーマットの制約を受けずに思考が可能になる。

紙の上などで何かを考える場合でも似たようなことがある。文章のみで考えるか、図を描きながら考えるのか。KJ法で図解化と文章化の段階が分かれているのも、そもそも、図で考えられることと文章で考えられることに差があるからだ。
いうまでもなく文章もツール、図もツールである。
職人が道具を選び、時には自分自身で道具を作るように、僕らは思考の際にどんなツールを使うか?ということにもうすこし意識的であってよいのだろう。


パリの街のコンコルド広場にたつオベリスク。
古代エジプト期に多く建造された記念碑としてのオベリスクに記されたヒエログリフは、
ヨーロッパでは長く、神的な秘密を記述した文字として考えられていた


さて、そんな話のつながりでマクルーハンが最後の著書『メディアの法則』でこんな文章を紹介したい。
人工物はすべて人間が発したもの、外化したものであり、そうだとすれば、言語学的・修辞学的な存在である。
マーシャル・マクルーハン『メディアの法則』

言語、特に、話し言葉は人間にとってはきわめて原初的なツールだといえる。その言葉と同様にほかの人工物もまた言語的だというマクルーハンの指摘が、最初に書いた「どのように考えるかは、どんなツールを使って考えるか?に大きく依存する」という話につながってくるのは容易に想像してもらえるのではないか。

今回は、ずっと言葉にしようしようと思って、できていなかった、そのあたりの話をついに書いてみようと思う。

「考えるための道具の修辞学」の続き
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2017年01月23日

秘密の動物誌/ジョアン・フォンクベルタ&ペレ・フォルミゲーラ

「存在する」とはどういうことを指すのだろう?
何が確かに存在していて、何が存在していないと言えるのか?

神は存在するのか? 幽霊は? 宇宙人は? ドラえもんは? 聖徳太子は?
ネッシーは? つちのこは? 龍は? 一角獣は? ピカチューは?
知っているけど、存在しているか(いたか)、よくわからないものはたくさんある。
では、どんな証拠があれば、それらは存在している(いた)と言えるのか。



16世紀のボローニャの博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディは、植物・動物の膨大な標本を残し、それらの標本を整理、分類した博物学の書物を複数書いている。医学博士でもあったアルドロヴァンディは、イタリア各地を植物の採集にまわり、集めた植物を育てる植物園も作っている。科学という言葉はまだなく、大まかに博物学という言葉でまとめられてた。
その弟子が、アルドロヴァンディの残した多量の図譜を元に編んだ『怪物誌』という本がある。そこには下の図版の人面鳥をはじめとする奇妙な生き物たちが描かれている。



それらがすべて怪物かというとそうではなく、海の象だとか、海の司祭などの形で描かれたセイウチも含まれる。ようするに、この『怪物誌』に描かれた怪物らしく描かれたとても居そうにない生物たちが本当に存在しないか、セイウチのように実は存在しているかはよくわからない。
科学や技術が発達して、いろんなものがわかってきたつもりでも、まだまだ存在するかしないか、わからないものは残っているはずだ。

そんなウリッセ・アルドロヴァンディの博物学、いやいや、もっと古いギリシアの時代のアリストテレスの『動物誌』やローマのプリニウスの『博物誌』に連なる動物学の歴史に連なるのが本書『秘密の動物誌』である。

「秘密の動物誌/ジョアン・フォンクベルタ&ペレ・フォルミゲーラ」の続き
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2017年01月20日

アナモルフォーズ/ユルジス・バルトルシャイティス

1637年、ルネ・デカルトは公刊した『方法序説』で自身の機械論的世界観の一部をおそるおそる明らかにしている。その著作では「思考をもたず、言葉をもたない動物は機械にすぎない」という動物機械説を含む、デカルトの機械論的な世界観が展開されている。



デカルトは、有機体の肉体を自動機械としてみることで、こう説明している。
動物一個体の肉体中にあまた蝟集(いしゅう)し輻輳(ふくそう)するところの骨、筋肉、神経、動脈、静脈その他悉皆の部分に比べるとほんの僅かと言わるべき数の部分品を用いて、人間の匠みがいかに多種多様なオートマータ即ち自動機械をつくり上げることができるものかを弁(わきま)え知り、この肉体をしも一個の機械とみなしているような人々の目には、このことは全然奇異には映るまい。
ルネ・デカルト『方法序説』

このデカルトの機械論的発想は、人間の身体にも及ぶ。ただし、人間は世界を機械的に感知する。ただ、それは世界をそのまま見るのではなく、すこしズレたイリュージョンとして見るのだとデカルトは考えた。

そんなデカルトが懇意にしていたミニモ会士でプラトン主義者であったマラン・メルセンヌ師を介して、同じミニモ会修道士でメルセンヌの弟子であり、数学者であったジャン=フランソワ・ニスロンにもこの機械論は共有されていた。
そのニスロンの1638年の著作に『奇妙な遠近法』がある。デカルトの『方法序説』の翌年の公刊であり、1646年のラテン語版は『光学魔術』と改題されている。副題は「奇妙な遠近法、或いは驚異の効果の人工魔術」である。ニスロンはこの魔術の効果を「人間の芸術と巧智が到達しうる最も美しく、最も素晴らしいもの」と讃える。
ニスロンはその論のなかでデカルト同様に「自動機械(オートマータ)」に触れている。「自然がうんだものででもあるかのように口をきくアルベルトゥス・マグヌス作の青銅頭像、学あるポエティウスの玄妙至極のわざは青銅の蛇にしゅうしゅう啼かせ、青銅の小鳥にさえずらせた」と自動機械への関心を示す。

そのニスロンの関心の中心にあるのが、自動機械としての遠近法であった、というのが、今回紹介する『アナモルフォーズ』の著者ユルジス・バルトルシャイティスである。
機功を匿(かく)した精密機械の一種として、事物を遠ざけたり近づけたり形態をイリュージョンの宇宙の中で生き生きと動かしてみせたりする遠近法も、同じような範疇に属するべきものであった。
ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』

ここでデカルトの話に戻る。

デカルトが『方法序説』で自身の機械論的世界観を主張する際、「おそるおそる」だったのは、1633年にガリレオ・ガリレイが異端審問を受けていたからだ。それをきっかけにデカルトは予定していた『世界論』の公刊を断念した。その一部をあらためて略述したのが『方法序説』であり、問題になりそうな地動説に関する論考は控え、『屈折光学』『気象学』『幾何学』などを選んで附している。
その俗に『方法序説』と呼ばれるデカルトの著書の原題は『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論』である。つまり「序説」および「方法の試論」の2つからなる。この後者の「方法の試論」にあたるものに含まれるのが『屈折光学』『気象学』『幾何学』であり、その『屈折光学』で展開されるのはニスロンが『奇妙な遠近法』で記したのと同様、遠近法とその光学魔術的側面なのである。デカルトはそこに「見かけのウソ」をみた。彼の懐疑論の根幹の1つがここにあるといって良い。

では、デカルトが17世紀の半ばにみた「見かけのウソ」とはいったい何だったのだろう?
それこそが本書『アナモルフォーズ』がテーマとする、ゆがんだ画像を円筒などに投影したり角度を変えてみたりすることで正常な形が見えるようになる、遠近法の応用としての視覚表現技法である。

「アナモルフォーズ/ユルジス・バルトルシャイティス」の続き
タグ:デカルト
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2017年01月18日

観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー

なぜ20世紀のはじめに突如として抽象画が生まれたのか?
画家たちはなぜ急に、ずっと続いた自然の模倣をやめたのか?

あるいは、その予兆として、19世紀の終わりに印象派が、15世紀以来続いていた遠近法的な視点を放棄したのは何かきっかけがあったのか? よく言われるように、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが印象派を30年も先取りした絵を1840年代には描き始めていたとしたら、何がターナーにそうさせたのか?



なんと、そのきっかけがゲーテが1810年に出した『色彩論』だったというのが、本書『観察者の系譜』の著者ジョナサン・クレーリーである。

クレーリーは、ヨーロッパにおいて「観察者」というものが大きく変化したのが1820年からせいぜい1830年頃にかけてだと言っている。いや、正確には「観察者」の立ち位置が変化したというよりも、その頃にはじめて「観察者」という概念が生まれたのだとクレーリーは言う。

ゲーテは『色彩論』の「まえがき」で「色彩は光の行為である。行為であり、受苦である」と書いている。
これこそ、視覚という概念の大きな転換であり、「観察者」を生みだしたゲーテの発見である。クレーリーが本書で言っているのは、まあ、そういうことだ。

行為としての色彩。
つまり、このとき、はじめてデカルトやニュートン以来ずっと機械的なものと考えられていた視覚が生理学的なものに変わったのだ。いや、より正確に言うなら、そのとき、はじめて「生理学」的なる考えが生まれたのだとクレーリーは指摘している。

機械的な視覚から、生理学的な視覚へ。
それがどういう意味をもつのか? どんな変化をもたらしたのか? それが本書『観察者の系譜』が論じている点である。

「観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー」の続き
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2017年01月17日

鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ

この本を読んで人間が生きる環境の変化はこれほどまでのものかとあらためて驚いた。
鉄道以前と以降で、これほどまで人間の生きる環境が大きく変化したなんて。



もちろん産業革命を経て人間の暮らす世界が大きく変化したであろうことはわかっていたし、同じような話は読んだこともある。けれど、こう「鉄道旅行」というキーワードに絞り込んだとき、あらためて変化の度合いは大きく、またリアルに感じられた。

例えば、すでに記事にも書いた標準時のこと
いまでこそ当たり前に使われている世界の標準時というシステム自体が100数十年前のイギリスの鉄道の普及の歴史とともに生まれ、世界的なしくみとなったもので、それ以前は街ごとにその街の時計台の時間を街の標準時として使っていて、時間は街それぞれで固有の時間を持っていたことなんて、この本ではじめて知った。

あるいは、鉄道馬車という言葉は聞いたことあったし、それが蒸気機関車が走り始めるすこし前まで使われていた鉄のレールを走る馬車であることはわかっていても、そのレールの上を走るのが自家用の馬車であり、それゆえにとうぜん起こるべき問題として同一線路上のすれ違いも、鉄道から通常の道路へと馬車を移す際の手間などで途端に交通に支障をきたすということが現実に起こっていたなんて知らなかった。

「鉄道はあまりに新奇なものであっただけに、一般交通機関としての鉄道の利用を喧伝する人たちさえも、初めは誤解していた」と、この『鉄道旅行の歴史』の著者ヴォルフガング・シヴェルブシュは書くが、「一大機関のように働く鉄道は、その部分が相互に密接に結びあい、その運行には最低限の統一が要求される」ものであり、「独立自営の何人もの代理人によって運営できるものではない」ことも気づかないほどに、人工的な乗り物といえば、一般路を走る自家用の馬車しかなかった時代の人たちが「統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする」鉄道の運営というものに思いいたらないということが、僕自身、思いいたらず、自家用鉄道馬車がいろいろ問題を抱えつつ走っていたということに驚いた。

まったく、なんて僕らは過去の生活環境に無知なんだろう。
鉄道馬車の当時の人が、統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする鉄道運営に思い当たらなかったのと同じくらい、僕らは標準時のない環境、馬車しか交通手段のない環境のことをイメージできないのだ。僕らが普通にしている数駅離れた会社に時間通りに通うということも、その当時はありえなかったということを想像できないくらい、僕らは現代の枠組みに囚われてしまっている。そんな想像力の監獄のなかで、どうして自分たちの環境を変えるような発想ができるのか?

この本を読んで、そう思った。
この本を紹介することで、みなさんにもすこしでも、その感覚は共有できるだろうか?

「鉄道旅行の歴史/ヴォルフガング・シヴェルブシュ」の続き
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2017年01月14日

シンボルの修辞学/エトガー・ヴィント

ダニエル・アラスの『モナリザの秘密』書評)に続いて、同じ美術史家である エトガー・ヴィントの『シンボルの修辞学』を読んだ。



アラスの本がラジオ番組を元にして作られたこともあって非常に読みやすかったのに比べると、こちらの方がすこしむずかしくはあった。アラスが1944年生まれで2003年に亡くなっているのに対し、ヴィントはもうすこし前の時代の人で1900年にドイツで生まれ、1971年イギリス・ロンドンで亡くなっているということで、より時代背景的に身近なアラスのほうが共感しやすいというのもあるだろう。
でも、むずかしくはあるが、理解できないような本ではないし、ちゃんと読めばすごく面白くて、僕の関心ごとにどんぴしゃな本だった。僕がどれだけこの本を読んだのをきっかけに考えさせられたかは、すでに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」という記事でも紹介している。

「シンボルの修辞学/エトガー・ヴィント」の続き
タグ:美術史
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2017年01月10日

北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て

雨の降る日曜日に、上野の国立西洋美術館へ「クラーナハ展」を観に行った。
会期終了が迫るなか、唐突に観に行こうと思ったのは、そういえば北方ルネサンスのこと、よく知らないなと思ったからなのと、ちょうど読んでいた『シンボルの修辞学』で著者のエトガー・ヴィントが、同時代のドイツの画家グリューネヴァルトに関して論じるなかで、クラーナハや同じく北方ルネサンスを代表する画家であるデューラーの話をこんな風に持ち出していたからである。
グリューネヴァルトはクラーナハによる聖ゲオルギウスの木版画を知っていたにちがいなく、それはデューラーの人体を手本に制作されたものであった。もしデューラーのものを近代性の指標として認めつつ、制作年代どおりデューラーを最初に、グリューネヴァルトを最後にして3点を並べるなら、それらが示すのは後退性である。
エトガー・ヴィント『シンボルの修辞学』

デューラーの絵は実物を美術館などでちゃんと観たことはあまりないが、それでも図版などで何点か観て知っている。グリューネヴァルトに関しては、その代表作ともいえる「イーゼンハイム祭壇画」をフランスのコルマールで観て、すごいと思ったので印象に残っている。


グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」の展示風景
ウンターリンデン美術館が改装中だったため、近くのドミニカン教会で展示


ただ、その2人と同時代を生き、ともに北方ルネサンスを代表する3人の画家のひとりに数えられるクラーナハに関しては、あまりよく知らなかった。だから、土曜日に、上の引用を含む話を読んでいて、ちゃんと観ておかなくてはと思ったのだった。
「北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て」の続き
タグ:クラーナハ
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2017年01月09日

鉄道が標準時をつくった

びっくりした。
知らないことを突然知るのは驚きである。

いまヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史』という本を読んでいるが、その中にこんな一節がある。
地方は、具体的にその時間を失う。鉄道により、その地方的な時間が奪われてしまう。地方が個々に孤立しているかぎり、地方にはそれ固有の時間があった。ロンドンの時間はリーディングより4分、サヤレンセスタより7.5分、ブリッジウォーターよりも14分早かった。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

最初読んでもピンとこなかった。その前に鉄道によって空間の間を移動する時間が大幅に短縮され、空間同士の距離が小さくなるといった話があったので、その流れで地方が同じ生活時間圏内になるといった話かと思った。

それにしては「ロンドンの時間はリーディングより4分…」のくだりの意味がわからない。
読み進めると、わっ!と思った。
時間の統一は、英国では1840年頃個々の鉄道会社が独自に企てる。各会社が自分の路線にそれぞれ標準時間を導入する。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

え?もしかすると、それまでは街ごとに標準時が違ってたということ?と思い、電車の中だったが、すぐにWikipediaを調べると、こうあった。
標準時が導入される以前は、各々の自治体ごとに(もしその町の時計があれば)その町での太陽の位置に合わせて時計を合わせていた。すなわち都市や観測地点ごとに定めた平均太陽時であった。

ヨーロッパの街の中心部に古い時計台があるのもそのせいなのだろう。


エクス・アン・プロヴァンスの17世紀の天文時計台。市庁舎広場にある。


「地方は、具体的にその時間を失う」とは比喩的な意味ではなかった。
まさに鉄道の普及の際、「地方にはそれ固有の時間があった」状態が変化したのだ。
では、なぜ、それが19世紀後半の鉄道普及の際だったのか?
「鉄道が標準時をつくった」の続き
タグ:鉄道 標準時
posted by HIROKI tanahashi at 13:55| 文化史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった

ひとつ前の記事で紹介した『モナリザの秘密』という本のなかで、著者のダニエル・アラスはこんなことを言っている。
14世紀初頭から19世紀末にかけてのヨーロッパ絵画を特徴づけるのは、それが自然の模倣という原理のもとで描かれているということです。
ダニエル・アラス『モナリザの秘密』

一見どうということのない当たり前のことを言っているようにも思える。
だから、つい読み飛ばしそうになる一節だが、これ、ちょっと立ち止まって考えてみると結構いろんな疑問が浮かび上がってくる発言だと思う。

例えば、
  1. 「14世紀初頭から19世紀末にかけて」がそうだったら、その前はどうで、その後はどうなのか?とか
  2. というか「ヨーロッパ絵画」というけど、絵画以外ではどうなの?とか
  3. で、結局のところ、それはどういうことなの?とかとか

ちょっとした文章でも読み飛ばさず、疑問をもって考えてみることって大事だよねと思う。

で、ひとつひとつ考えてみると、それぞれこんな風に答えることができる。
  1. その前のヨーロッパ中世の時代は神の世界を描いてたし、その後の19世紀末くらいからはターナー、そして、印象派をはさんで抽象的表現が主流となり、自然の模倣から離れていく(その変化の起点ともいえるターナーに影響を与えているのがゲーテの『色彩論』における残像であり、そしてそれを起点に展開される生理学的な視覚論などだけれど、いってみればそれは17世紀以降のデカルト〜ニュートン由来の機械論的な視覚論&光学の見直しだった)
  2. というわけで、絵画以外ではどうなの?という問いについては、中世は絵画はまったく芸術における中心的な地位を占めてしなかった。建築や彫刻、ステンドグラスやタペストリーなどの複合的なものの統合によりキリスト教世界を表現していたのが中世までの芸術だ。一方、20世紀以降の抽象絵画以降の現代においても同様で絵画は芸術における中心的な位置を占めていない。そこで僕らはあらためて気づく。絵画中心の芸術観自体がむしろ「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の特殊例なのだと。
  3. そして、絵画が芸術の中心を占めていた「14世紀初頭から19世紀末にかけて」こそが絵画のような静的なイメージによる思考の時代であり、同時にそれは機械論的な因果関係が信仰されていた時代であったのが、現代ではそれが動画的な落ち着かないイメージだったり、CGのように現実界にオリジナルももたなければ、場合によってはプログラムによる生成などによりオリジナルの作者性さえ危うくなったイメージに取って代わられており、そのイメージの自在な可変性がそのまま複雑系の答えが予測できない世界像に反映されていたり、無限に複製可能で可変性のある信頼ののおけないイメージよりも、ライブでの体験に価値が感じられるようになっていたり、と、ある意味、いま絵画中心の時代の美術史を語る意義そのものが問われているわけだ。

これだけが正解というのではなく、あくまで解答例ね。


14世紀以前の中世美術を集めたパリのクリュニー中世美術館の展示
タペストリーや祭壇などが展示されているが、それらは個別の作品というより教会といキリスト教的空間を織り成す一部だ


前の記事でもダニエル・アラスが芸術を歴史的な視点でみる際、アナクロニスムに気をつけろという指摘をしているという話をしたけど、「14世紀初頭から19世紀末にかけて」以外では、芸術も違うし、その環境も違うし、人々の考え方も違う。もちろん、その「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側でだって、芸術も環境も考え方も変化してる。でも、やっぱり大きな区分として「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側と、その外側にある前と後ろの違いのほうが大きい。

例えば、前であれば「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」ような芸術観だったし、そういう価値観をつくりだす社会環境だったわけだ。ちなみに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」といったのはドイツ生まれの美術史家エトガー・ヴィント(エドガー・ウィントと表記される場合もある)で、著書『シンボルの修辞学』のなかでそう書いている。

そして、なぜ、こんな話をはじめたかというと、ちょうど一昨々日の夜、元同僚と3人で新年会をした際に、プラトンのイデアと美の話になって、『シンボルの修辞学』中のプラトンの芸術観についても話したからだ。今日はそのあたりの話をあらためて文章にしてみたい。

「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 19:09| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする